個人がマスメディアのように情報を拡散できるネットと罪刑法定主義の相性の悪さ。まんだらけで窃盗をした犯人は悪いが、窃盗罪の法定刑には『肖像を晒す継続的な社会的制裁』は含まれておらず、犯人特定と社会的制裁を区別できない。
まんだらけが万引犯公開中止、警視庁の要請受けて方針転換
犯罪者だから個人情報も人格権・名誉もないという意見もあるが、そうなると不起訴処分・軽い罰則になるような事例でも『(ネット上の肖像のコピペ氾濫で)社会的生命の抹殺・社会復帰の困難』が起こり、複数の犯罪の量刑の重み付けや罪刑法定主義、法の前の平等原則が意味のないものになってしまう。
まんだらけのように『ネット上での話題性・注目度が高い窃盗』と『一般的な店舗で捕まって地域で処理される窃盗』との間で、実質的な社会的制裁(名誉毀損・社会復帰困難)が大きく違ってくる『罰則の不公平さ』の問題も出る。
『私的な公開捜査』を容認すれば、『冤罪・誤認・私怨(嫌がらせ)』があった場合でもその責任追及や原状回復が困難になってしまうだろう。
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京都府警の高速隊員の検挙で、兵庫県警の管轄意識も影響した可能性がある。同じ県警の隊員なら摘発したか否か…『ひき逃げ事故』ではなく『当て逃げ事故・物損』で145キロを出す緊急性があるかの判断。
<スピード違反>145キロで緊急走行…パトカーに赤切符
速度違反自動監視装置(オービス)に記録されている警察車両の速度超過を見逃さずに検挙したのは『公正さ・適正運用』とも言えるが……警察官の意識として市民からの通報(現場)があって、赤色灯・サイレンを鳴らして走っていれば、速度超過を身内が検挙するわけがない(オービス摘発の対象外)という臆断はあっただろう。
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関越道のツアーバス事故は、自ら請け負った違法な労働条件(バス車体・運転手の登録手続にも法的な不備がある状態)によって過労状態に陥っていた河野化山(こうのかざん)被告が、居眠りをして猛スピードで防音壁に突っ込み、車体が真っ二つになるほどの損傷を受けた見た目にも衝撃的な事故だった。7人が死亡して、38人が負傷する自動車事故としては非常に大きな被害を出した。
<関越道事故実刑>「ある程度納得したが…」遺族、笑顔なく
自動車事故は年々減少を続けており、交通事故の死亡者がピークだった1970年代の交通戦争ともいわれた1万6千人台と比較すると、現在は飲酒運転厳罰化・危険運転関連の法改正の影響もあり4700人を割り込むまで激減している。現在が最悪の交通事故の状況というのは当たらないが、人々の意識としては『悪質な交通事故が増加したという印象』も強く、このことは凶悪犯罪が低い発生件数で推移しているのに、『治安が悪化しているという印象』ともつながっている。
1970~1980年代頃までは、日本は高度経済成長期にあり自動車の売上・税収と普及率が伸びるモータライゼーションは、『裕福な中流階層の増加を反映した先進国化(経済成長・労働意欲につながる欲望の原動力)』でもあったから、いくら自動車事故やその被害者が増加していても、被害者心理を代弁するような形の報道姿勢をマスメディアが取ることはなく、事故の発生と犠牲者数が淡々と報じられることが多かった。
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内閣総理大臣に『憲法解釈権』があるとするならば、内閣総理大臣は旧帝国憲法下における主権者の天皇以上の権限を持つことになるわけだが(昭和天皇でさえ立憲君主であることを自認され天皇機関説を支持されていたわけで)、『憲法解釈を司ることができる個人の代表者』というのは英国のマグナカルタ以前の専制君主、市民の第一人者(民意の集積者)として月桂冠を被った古代ローマ皇帝のようなもので『近代化された国制・法制の否定』の願望のようなものである。
ブルボン朝のルイ14世は『朕は国家なり(朕を制約する上位法はない)』とのたまったとされるが、君主制への逆行は冗談にしても選挙で選ばれた政権党の代表者(首相)が、憲法解釈を自分の思想信条で左右して立法措置(政策遂行)までできるというのはいずれ時代錯誤な話ではある。選挙で勝っただけの政権与党が、イコール憲法原則の中身であるはずもない。
解釈改憲で安倍首相擁護=渡辺みんな代表
安倍首相は立憲主義の本質を理解していないという批判をされているが、首相は国会答弁において『国家権力を制約するという意味の立憲主義は、絶対王政時代のものであって民主主義の現代にはそぐわない・選挙による審判や大多数の国民の民意があれば、国家権力を立憲主義で制限する必要がない』という持論を語った。
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特定秘密保護法案は『防衛・外交・テロ防止・スパイ活動防止』の四分野において、行政機関が特定秘密を指定してフリーハンドな政治判断と国民から事後的に責任を問われない行動(秘密の非公開期間の長期延長)ができるようにする法案である。
直接的に『言論・表現・思想信条の弾圧』につながる内容を規定する条文ではないが、『政府・行政への全権委任領域(主権者が安全保障分野に関知できない状況)の法的根拠』を準備するものである。
『政府の広義の国家安全保障分野・人権擁護分野における結果責任』が曖昧になるなど、国民主権の民主国家としては政権の安全保障の判断に対するチェック機能が備わっていない問題を孕んでいる。
『情報公開法・公文書管理法』の制約も及ばないため、国民は自分が生きてきた年代の政権の国家安全保障や人権問題(公安・監視活動)を直接的にチェックして評価することが不可能となり、秘密が公開される時には当時の首相・閣僚・官僚は既に鬼籍に入っていて何の責任も追及されない(何をやっても痛くも痒くもない)という話にもなる。
特定秘密を漏洩した公務員だけではなく、不適切な手段(脅迫・買収・唆し等)で秘密を聞き出そうとした民間人までも処罰対象にしていることも問題で、『学問・報道・創作・芸術・表現』などの分野においてチリング・エフェクト(萎縮効果)をもたらすだけではなく、『特定秘密法違反の嫌疑』をいったん受ければ一般の民間人(報道人・研究者・運動家等)は非公開の刑事裁判に掛けられてそれに対する有効な防衛策を殆ど取れない恐れがある。
戦前の『治安維持法(1925年,1941年)』がターゲットにしていたのは『国体(天皇制)を変革する左翼思想・自由民主主義・私的所有権の否定やそのための結社・政治運動』だったが、最終的には『政府・軍部の方針に反対するすべての思想・活動』が弾圧対象になっていった。
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国家安全保障に関わる『防衛・外交・諜報(スパイ)防止・テロ防止』の4分野で、特定秘密に指定された国家機密を漏洩した公務員やその公務員から情報を聞き出そうとした民間人・報道人に対して懲役5~10年以下の刑罰を科せるようにする。
賛否両論がぶつかる『特定秘密保護法案』は、安全保障関連の国家機密漏洩に対する厳罰化を目的としたものだが、その最大の問題点は『特定秘密の指定者である政府(首相・閣僚)のフリーハンドな情報独占』である。
国民が政府の外交・防衛・人権擁護の政策判断や基本方針の内容を知った上で批判や投票をするという『国民が主権者として政府・政策を監視して評価する民主主義の根幹』が揺らぎ、選挙が実質の白紙委任を意味する恐れが出てくる。
特定秘密に指定された政策判断や外交・軍事の方針(その中には外国人の暗殺や監禁などの人権侵害・軍事同盟に基づく無差別的空爆の是認・スパイや捕虜に対する非人道的拷問の認可なども含まれる恐れがある)に有権者が賛同できないとしても、それを知る機会そのものが法律によって規制されているのだから、選挙によって特定秘密を織り込んだ政権や政党に対する適切な評価はできないということになる。
その結果、国民やジャーナリズムは『政府・行政から与えられた情報の範囲内』で守られて統制される付随的な存在にしかなり得ないが(安全保障関連のスクープ記事や関係者からのすっぱ抜きは犯罪行為になるのだから)、これは国家権力が人権を取捨選択して与えていた民主主義国家の初期状態への逆行、行政府が国民の情報環境・ジャーナリズムを支配調整するというアンシャン・レジーム(情報独占の行政国家)への回帰のように感じられる。
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