「現代社会」タグアーカイブ

暴力団の構成員数が過去最低に:公権力・市民社会がヤクザの非合法権力・暴力・みかじめ(半徴税)を容認しなくなった変化

ヤクザ(渡世人・侠客)が暴力団に変わり反社会的勢力と認定された時から、社会悪として排除・規制される側に回り、政治・企業の汚れ仕事を担う癒着も薄れ旨みも減った。

暴力団、構成員数「過去最低」の背景…進む取引拒絶、住みにくい世の中に

ヤクザの歴史は近世江戸期の博徒・的屋・火消し・侠客まで遡るが、昭和期の近代ヤクザは『公権力・法律が十分に及ばない裏社会・歓楽街(風俗関連)・荒くれ労働者(日雇い人足)の現場社会のまとめ役(顔効き役)』『企業社会に適応できない不良・粗暴者の所属と身元預かり先』として社会的役割を当てがわれていたりした。

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『社会に満足している』が過去最高の66%に―内閣府調査:サンプリングの偏りの可能性と社会概念の内容

『社会に満足か』の質問がアバウトだが、それなりに仕事・経済・家庭・健康が良い状態なら『はい』になるが、他者も含めた『社会の仕組み・現状の評価』となると難しい部分が出るだろう。

「社会に満足」過去最高66%=防衛・外交、悪化の見方増す―内閣府調査

内閣府調査のサンプリング対象になった層の偏り(固定電話を使う高齢者層・暮らしには困らない中流層など)も想定されるが、『内政・社会構造(自国や現状の不満)』より『防衛・外交(外国からの脅威)』が大きいのは、比較的人生・生活がスムーズにいっているか、意識や興味が日常より政治・防衛に偏っているかだろう。

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和歌山県の禁煙教育(タバコの有害性の教育)で喫煙経験率が10分の1に激減:今の人はなぜタバコを吸わなくなったのか?

たばこの健康被害・危険性を教えた効果もあるが、先進国全体で禁煙運動(喫煙のイメージ低下)の機運が高まり中学生の親世代の喫煙率も大きく下がった。公共空間で吸える場所も激減した。

喫煙経験率が10分の1に激減 たばこの危険性教えた効果テキメン 和歌山

タバコは『精神作用(依存性)のある伝統的な嗜好品』であると同時に『(ダンディズム・大人への背伸び・不良文化で)喫煙やその仕草をプラスに評価させるイメージ商品』だったが、ここ20年ほどでタバコのイメージそのものが急落した。中高生が格好付け(規範逸脱の悪の演出)で吸いたいと思わなくなった影響が大きい。

昔ならジッポライターやキセル、タバコケースなど喫煙道具へのこだわりや銘柄選定も趣味的な面白さがあったりしたが、近年はそういったブームや感受性自体がほとんど無くなっており、若者の共通認識が『喫煙は健康・法律の問題だけでなく余り格好いいものではない(吸っても友達に承認されない)』に傾き売れなくなった。

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現代社会は男と女のどちらが生きやすいのか?:男と女の心理的・経済的な戦略の違いの傾向

男にも女にもそれぞれの人生の苦難があるが、一般論として経済的・精神的に自立できれば男女の差異は縮む。若い頃は平均的な女は存在に価値があるが、男は何か役に立つ事をして初めて価値が出る。

ホンネ告白で大激論!? 「今の時代、男と女、どっちが得?」

現代でも社会で働いて経済的に長く自立しやすい面では男が有利だが、人に愛されたい異性として求められたい承認欲求では、若い時期はどうしても女の方が有利だろう。だが男は自分の存在自体に性的価値が乏しいこと、腕力があることで、若い頃でも『性犯罪・襲撃を恐れず夜でも一人でも気楽に自由行動できる利点』もある。

平均的には、男の場合、自分自身で稼ぎ続けなければ人生は苦難と孤独にさらされやすく、女の場合、完全に自立できる金額を稼ぎ続けなくても、自分を愛し支えてくれる(多めに経済負担してくれる)パートナーを捕まえられれば、それなりの人生を歩きやすい。支え合うにしても、異性に求める貢献・役割の差異はでやすい。

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生命(個体)の継続を否定する『反出生主義』にどう反論できるか?、出産・人類の継続を理性・理屈で論理的に肯定できるか?

現代の先進国の少子化原因(選択的な出産回避)、自己否定的な悲観主義の一つとして、『虚無主義・優生思想』とも関係したデイヴィッド・ベネターらの『反出生主義(antinatalism)』が挙げられることがある。

http://0dt.org/vhem/argue.html

http://chaos2ch.com/archives/4750759.html

反出生主義とは『人生は快より苦が多く生まれてこなければ良かった・生まれなければ何も思い煩う主体がそもそもない』という通俗的な悲観主義・虚無的な厭世感を、『帰結主義・功利主義・確率的な不遇や絶望』から理論化した思想だが、この人間存在(生の意味)の否定の思想を『感情・常識』ではなく『理性・ロジック』で否定することができるかを少し考えてみたい。

反出生主義は『最後はみんな病気・老化・事件事故・自殺などで死んで連続的な意識・記憶は何も残らないという帰結主義』や『人生には確かに快(良いこと)もあるが初めから苦痛(悪いこと)や悪意・死を感じる主体が生み出されないことのほうが全体の不幸が減るという功利主義』から、自分以後の誕生・生命を否定的に見る思想である。

デイヴィッド・ベネターは人の人生に『快・喜びが存在すること』には確かにプラスの価値があるが、人間の存在・意識が初めからなければ『快・喜びが存在しなくても(不幸・無意味にならないために必死になり、快・喜び・意味を感じるための努力や解釈がなくても)別に構わない』だろうと語る。それはそうだ、人間が誰もいない世界では快・喜びを感じる主体、そのために努力や競争をする主体がいないのだからという当たり前の話ではある。

そして、人間の存在・意識がある以上は誰かの『苦痛・悪意・絶望などが存在すること』は絶対に避けられないとして、そういったマイナスの境遇や認識・価値観が一定ラインを超えると(せっかく生み出すことに意味があると信じて生み出されたのに)『生まれてこなければ良かった(初めから自我・知覚がなければ何も感じず何もない状態が続いた)』という反出生主義に転換して苦しんだり死んでしまうこと(誰かを傷つけてしまうこと)さえあるのだという。

さまざまな条件を背負った人間が次々に生まれる以上は、確率的に誰かが不幸・貧苦になったり差別・迫害・侮辱を受けたり、重い病気になったり自殺したり犯罪者(テロリスト)になったり冷酷な独裁者になったりする。初めから誰も生み出されなければそれらの人間の存在・意識にまつわる問題や不平不満のすべてが解決されるというのが反出生主義だが、それはそうだろうとしか言いようがないといえば言いようがない思想である。

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『主人・嫁の言葉』は女性差別的なのか?、 ヴォーボワールの『第二の性』とジェンダー問題:原理主義の男女平等化はなぜ不可能なのか?

生物学的な性差のセクシャリティ自体が不平等で生殖を優先させる動物的側面を持つ。男女・イエ(部族)を超えた公平・尊重や暴力・強制の廃絶を求める近代人は倫理的だが非自然的でもあるのだろう。

「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限 川上未映子さん

『主人・嫁の言葉』が女性を独立した主体(個人)として見なしておらず、男性やイエの下位にある身分・役割を表象する男女差別的な言葉ではないかと言われれば、無論、歴史的に見て『女性が独立した経済・意識の主体として生きられた時代』は殆どなかったという意味においてそうだ。男性もまた近代以前は個人ではないが。

近代的な自由で平等な個人は、現実の歴史・生活・労働の実態に即せば、『啓蒙主義的・イデア的なフィクション』に過ぎない。近代以降の身分制や強制権力(共同体構成員に死を命令する事もできる公権力)を弱めてきた歴史は『社会的動物(生産的生殖的な構成員)としての上下・役割・身分の意識の解体的自由化』でもあった。

結婚制度・家族や国家・企業労働などにおいて、『主人・嫁のような関係性・上下関係・役割分担を示す概念』は男女に限らず上司と部下、為政者と被統治者、経営者(資本家)と労働者などさまざまな二項対立概念としてあるが、それらは現時点において『廃止すべき賞味期限の切れた時代遅れの概念』とまでは言えない。なぜか。

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