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中年期になって気づくこと・分かること:『若さ至上主義・外見重視』に呑み込まれ過ぎない中年期・老年期の乗り越え方

中年期になっても主観的年齢は『考え方・努力・美容』である程度若くいられるが、『絶対年齢・老いと死の接近・他者が中年者と見る現実』は変えられない。

中年になって気づいたこと 「野菜がおいしい」「学力よりコミュ力の方が大事」「人生のピークは30歳」

ユングのいう老賢者の元型が通用しづらくなり、現代文明は若さ至上主義(アンチエイジング)やエイジハラスメントの弊害も生んだ。『老』は仏教の四苦の一つで、中年期以降は動物として『衰退・限界』がでてきやすいが、経験・知性・関係を土台にした『中年以降の主観的な意味・目標・楽しみ』には成長発展の余地もある。

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現代人の名前は漢字・読み・音の響き(格好良さ)にこだわる名前が増えた:個人主義と言霊思想

現代人の難読・当て字・奇抜な名前は『キラキラネーム』と揶揄されるが、音韻・漢字(字義)のセンスとして昔より『個人としての卓越・洗練・幸福・美形と結びついた主人公感』をイメージさせるものになったのだろう。

2016年生まれの子どもの名前、「大翔」「葵」がトップに~明治安田生命調査

なぜ昔も太郎・久・花子・良子とか亀・鶴・サダとかじゃなくもっと『格好の良い響きと意味を持つ名前』にしなかったのか、支配階級さえ単純で凡庸な響きや漢字の名前が多いのはなぜかの問いも逆にあるが、20世紀後半まで『個人主義の差異化の価値観』はなく『悪目立ちや名前負けを忌避する身分制・世間体』も強かった。

現代人の名づけはある種の『個人主義化された言霊思想』であり、良い意味と響きの名前をつければつけるほど子供が人並み以上に幸せになり成功したり不運を避けやすくなったりするという願いが込められている。『他者との差異化+個性と良い運命の表現』を追求しすぎて、格好良い響きと漢字のルーティン化に至った感もある。

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日本の人口減少の少子化はなぜ止まらないのか?:中流階層になりづらくなった庶民の将来不安・結婚と出産の自制(あるいは生活・異性の高望み)

国・家族の人口が増加すれば豊かになる『農業・工業社会の前提』が成り立たない時代になり、多くが3K労働には従事したがらない。教育水準・コストは上がったが収入は減少傾向が続いている。

人口維持できない少子化なぜ起きた? 豊かになった日本が抱える4つの理由

日本・韓国の少子化が典型だが、義務教育を最終学歴にする人がほぼいなくなり、教育水準が上昇し学費もかかるが、安定雇用・中流階層が減って格差が拡大している。現代の低所得層は高学歴者も含み、かつての『無知・従順な慣性で動く層』ではなく、『合理的将来予測』に行動が左右されるので貧乏でも出産になりにくい。

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簡単・手軽に幸せになれる方法はあるのか?:パターン化された生活習慣を変えるか現状追認の諦観か

『人間関係と仕事の充実・目的意識・経済的余裕・達成感ある活動』を軸に、『運動と休養・スキンシップ・日光浴・バランス良い食事・今ここからの楽観主義』があれば確かに『幸せ』かもしれないが、それは手軽・簡単な方法でもない。

“超手軽”に幸せになれる6つの方法

『超手軽に幸せになれる方法』としてセロトニンやオキシトシンを増やせば良いというのは脳内ホルモンの化学的還元主義だが、『脳内ホルモンを増やせば幸せ』というより『自分にとって望ましい状態に近づく努力』か『現状のあるがままを無理せず受け容れる諦観』かによって、人は今よりかは良い精神状態になりやすい。

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『一人ぼっち・結婚・友達・恥の文化』、他者(世間)が自分にどのように関わってきてどう受け止めるかという問題

日本における支配的な行為規範は長らく『世間体』によって規定されてきたが、世間体というのは地縁・血縁・学校・職場・昔馴染みなどの『共同体への帰属感の強度(断ち切り難いしがらみの強さ)』によって生み出されるものである。

独身者とひとりぼっちな人に世間は冷たい?

世間体や体裁(見栄)は『~くらいするのは当たり前である・だから~していないのは恥ずかしくて人様に顔向けできない』という『恥の文化』を生み出して、1990年代頃まで日本人のライフサイクルや社会通念・価値観をかなり画一化するだけの力を持っていた。

現代でも50代以上くらいの世代であれば、『人から笑われる軽く扱われる・人から馬鹿にされるのが恥ずかしいから』という世間体の同調圧力や価値観の均一化の影響力をかなり強く受けているはずだが、現代ではこの『世間体の実在性・影響力』は環境によってかなり薄れてきてはいる。

現代は個人主義と市場原理(自己責任)の時代であり、30代以下くらいの世代で一定の知性・洞察・配慮があれば、過半の人はその人がどのような状態にあっても『それぞれの生き方・好き嫌い・価値観・能力魅力・こだわり』などがあるという価値観やライフスタイルの多様性を前提として織り込んでいる。

『結婚していない・友達がいない』などの一人の状態にあるからといって『完全に決めつけた物言い』をする人は、よほど粗雑で乱暴な人(ある意味で現代人としての対人魅力や相手に合わせてもてなす話術に乏しい人)だけであり、それ以前に大半の人は共通の要因・時間がなければ、他者の詳細な個人情報や生活状況にほとんど関心がない。

若くて魅力的な人なら、知らない人から欲求や関心、話題を向けられることも多いだろうが、一定以上の年齢になって取り立てて目立つ特長・魅力がなければ、あまり親しくもない他者からあれこれ聞かれたり関係を深めたりするアプローチを受けることがなくなってくるのである。

逆説的だが、年齢を重ねて老いるほどに家族や親友以外の赤の他人が、自分のことに興味関心を持って助けてくれたり関わってくれなくなりやすいから、若くて特長・魅力があるうちに(その場の約束だけの人間関係よりは)縁が切れにくそうな結婚をしたり子供を作ったほうがいいという価値観もかなりポピュラーな人生方略である。

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ダニエル・カーネマンの行動経済学と幸せの理論:主観的幸福感・お金の相関、近代社会が見せるフォーカシング・イリュージョン

行動経済学者のダニエル・カーネマンはエイモス・トベルスキーと共に、人間は『利得』よりも『損失』に敏感に反応して、利得増加による快楽は損失拡大による苦痛よりも小さいことを『プロスペクト理論』によって明らかにしたことで知られる。プロスペクト理論は、人間の意思決定の基本原則が『損失回避(リスク回避)』の慎重さや現状維持にあることを示している。

利得も損失もその絶対値が小さいほうが『変化に対する敏感さ』が高まる。100万円の収入が300万円に増収する変化に対して、人はかなり大きな利得増加の快楽を感じるが、1100万円が1300万円に増収してもその快楽量は前者より小さくなってしまうということである。1億円が1億200万円ならその増収に対する快楽量の増大は相当に小さなものとなる。

損失拡大についても10万円の損失が50万円に増大すれば、人はかなり敏感に苦痛を感じるが、損失・負債の絶対値が1000万円や1億円にまでなるとそこで数十万円の損失が加わってもほとんど感じている苦痛(悲観)は変わらないのである。

人間は基本的に損失回避(リスク回避)の意思決定をするが、『一定の損失』に対してはまっとうな方法(給料・貯金からの補填など)で損失を回復しようとするが、リスク投資やギャンブルなどで『許容範囲を超える損失』を負った場合には、損失回避(リスク回避)のための追加的ギャンブルに踏み切る人が増えてきて、損失(借金)が雪だるま式に膨らみ破綻したり横領など犯罪に逸脱する事例さえも出てくる。

損失が大きくなればなるほど、人は正常な確率に基づく統計的判断ができなくなる傾向があり、投資金額(賭け金)を大きくしてこれさえ上手くいけば今までの損失が全てなくなるという『一発逆転の損失回避・損失補填』を狙い始めるが、最終的には元金を準備できなくなり八方塞がりになるのである。

プロスペクト理論では、確率加重関数という概念で人間の知性が『主観的確率と客観的確率の区別』がほとんどできないことを示している。

つまり、人間は宝くじのように客観的確率が低いがリターンの大きな状態に対して『もしかしたら自分に当たるかも』と主観的に過大評価してしまうが、逆に50%や30%で成功するような客観的確率が高いがリターンの小さな状態に対して『もしかしたら自分は外れて損をするかも』と主観的に過小評価してしまうのである。

5個の玉の中に1個の当たりが入っている当選確率20%の1回1000円の回転くじで、当たれば3000円を貰えるという確率的にはまずまずな条件に対して、かなりの割合の人は『もしかしたら自分は外れて損をするかもしれないからやめておこう(あるいはどうせ当たりっこないから損するだけで馬鹿らしい)』と思いやすい。

だが数十万~数百万分の1の確率で当たる1枚1000円のロトくじのような極めて当選確率が低いくじでも(統計的には絶対に当たらないといっても良い無視して構わない確率でも)、当選金10億円以上というようにリターンを大きくすると、『もしかしたら自分に当たるかもしれないから一枚買ってみよう』となりやすいのである。

リターンを大きくすれば、人間の客観的確率の認識能力は簡単に狂ってしまうことがあり、損失が積み重なってくると更に客観的確率の認識は狂って、主観的確率で『都合の良い楽観的な当たりやすさ』に置き換えられてしまう。

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