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男性の喫煙率が初めて3割を切る:現代でタバコを吸う人が減り続けるのはなぜか?

昭和の喫煙率の高さは『文化と慣習・多数派の同調圧力・タバコの安さ(庶民の少ない楽しみ)』によるもので、タバコが男性ジェンダーの格好良さ・大人っぽさを象徴するアイテムでもあったから、早くに喫煙し依存症になりやすかった。

男性の喫煙者率、初めて3割切る 健康意識の高まりなど要因

昭和の時代は不良文化・労働者文化でも企業文化(オフィスワーク)でも、タバコは必須という感じであり(MOZUのようにいつも紫煙が室内でくすぶって煙たく)、『酒・タバコの嗜み』が『社交性の高まり・談話機会の増加』ともつながっていた。仕事の有用な情報が『お約束のタバコ休憩』で取り交わされたりもあった。

労働条件がハードな職場も多く、『お約束のタバコ休憩』で非公式の休みを取りやすい働く側のメリットもあり、皆が喫煙者だったから『ちょっと一服』でジェスチャーすれば、10分くらいは随時に休めた。連れションよろしくそこに上司・部下がわらわら集まって雑談したりで、喫煙文化は人を寄せる娯楽でもあったのだろう。

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女性も女性の優しさ・温もり(柔らかさ)に癒されるのだろうか?:現代の女性もまた男のように孤独に陥りやすい

中年男が『この年になると色っぽい話もない』と嘆くと、同世代の女が『男ならカネがあれば遊べる店もあるが女はもっとない(家庭も世間も許さない)』と返す…未婚・単身が増えれば、女性のニーズを反映した風俗(女性キャスト)の需要も増えるか?

http://blogos.com/article/184496/

風俗業いうと異性関係や性的なものをイメージしやすいが、女性がイケメンを呼ぶのではなく、好みのタイプの女性を呼ぶレズを選ぶという心理は分からないでもないか。欧米の調査では女性の結構な割合は潜在的にバイセクシャルで、性的=性格的・身体的にも女性の方が軽いスキンシップで接していて癒されるとか。

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相模原市の障害者殺人事件:知的障害者(重複障害者)を差別しやすい感情と殺すことは違う。“綺麗事の倫理・福祉”を排除すれば社会は成り立たない。

相模原市の知的障害者施設『津久井やまゆり園』で19人を殺害した植松聖容疑者(26)は、『個人的な怨恨・嫌悪・挫折・大麻(精神異常)』を引き金にして、『障害者排除(安楽死・虐殺)の思想』に染まった挙句に、戦後最悪の残忍な大量殺人を起こした。

mixiをはじめとするウェブでは『事件自体の強い批判・容疑者の徹底的な否定』も多いが、『容疑者の障害者差別思想に対する侃々諤々の議論』もいくつか行われており、その中には『重複障害者の悲惨な現実と接したことがなく、介助したことのない人が理想論を語る』といったような意見もある。

この事件に対する意見・感想を読んでいると『自分も含めた一般大衆の潜在的な障害者の差別(区別)+極端に知性や自我の能力が低い人に対する敬遠と心の壁』というのはやはりかなり根深いものだと思わざるを得ないのであった。

それはどんなに道徳的・社会的に正しいことを言っていても、実際の行動や発言としては障害者を差別せず目の前にいれば笑顔で支援するとしても、重度の知的障害の人に対して『私たちとは違う世界の人であるという意識』を完全になくすことは不可能であるか至難であるということだ。

かつて知的障害は『知恵遅れ(精神遅滞)・白痴』と呼ばれてかなり激しい偏見・差別に晒されたが、人間の知性・言語能力というのは他者から見たその人の『尊厳・侮りがたさ』と分かちがたく結びついている。知性・言語を失えば、人間はどうしても自律性・判断力がないがために軽んじられてしまうこと(健常者と同等の尊厳や立場にあるとは認めてもらえないこと)を避けられない。

『社会・経済・人の役に立たなさそうな弱者をコスト(無意味)として叩く風潮』にのっかった障害者差別のポジションを、『本音の暴露(綺麗事をいうな)』として語る人が結構多いことにも慄然とさせられる。

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天皇陛下の『生前退位の意向』と明治維新以降の天皇制の特殊性:日本人が天皇に求める親の表象

天皇が生前退位して上皇・法皇になれないのは、国家主権・権威の分裂(院政・神仏習合)を禁ずる大日本帝国期の近代天皇制の遺制だが、現代では天皇の終身在位は非人道的だろう。

【速報】天皇陛下「生前退位」の意向を示される。内外にお気持ち表明検討

近代天皇制は、天皇を西欧列強の崇めるキリスト教の神になぞらえるかのような日本固有の『唯一の現人神の擬制』として仮定した。だが明治・大正・昭和の時代とは人間の平均寿命と医療水準、メディア環境(皇室の公開度)が違いすぎておりある程度の健康・意識の状態を保って60~70代で崩御する事が想定しづらくなった。

現代で天皇が現人神だとストレートに信じる人はいないとしても、天皇も人間である以上、『健康な身体・精神を維持しづらい老後』が問題となる。今上天皇は戦後日本の平和と理性を象徴する人格として最高水準で働かれてきたが、80代に入り『国民統合の象徴として機能する心身の限界』を感じ退位の必要を悟られたのだろう。

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日本の殺人事件(他殺)の発生件数は史上最低水準になっているが、『体感治安』は悪化している

またバラバラ殺人が起こったのかと反射的に思ってしまう。しかし、殺人は『話題性・感情喚起』があって印象に残る為、定期的に報道があると現代は殺人が多い錯覚が生じるが、実際は戦後一貫して他殺件数は減少、2015年は『313件』で史上最少となった。

新たに頭部や胴体発見=男性、死体損壊で捜査―静岡・奧浜名湖

現代日本は良くも悪くもハングリー精神が衰え、人を殺してでも奪おうとか暴力で他者を屈服させようとする人の比率が減少したことは確かで、逆に追い詰められると自殺するリスクが高まった。20?30年前でも現代より繁華街・裏道などに暴力・無法の空気があったが、現在は高齢化で静かか健全で明るいかである。

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介護殺人の増加と追い詰められる現代日本の老後:尊厳死・安楽死の議論とアンチエイジングな科学技術の夢

高齢者のいる世帯の人数が1~2人が大半を占め、老人の貧困も増加している現状で、『在宅介護・自助努力』は間接的な介護殺人や貧苦の自殺の容認になりかねない。

長年連れ添った夫に「確実に殺してね」と頼む妻 介護疲れがもたらす「介護殺人」増加の深刻さ

世帯の人数の減少と合わせ、現役世代の婚姻率低下や少子化もあり、子・孫世代の経済状況も悪化している事を考えると、政府が方向転換している『在宅介護・家族介護の推奨』は悲劇的な殺人・自殺を増加させる恐れがある。目指すべきは『各人の年金範囲内(高齢者も可能な労務提供)で賄える施設介護システムの整備』だろう。

安楽死・尊厳死の導入の議論もある。『死にたくない意思を持つ高齢者』に対する間接的な圧力・強制の問題はあるが、超高齢化社会では不可逆的に動けなくなったら食べられなくなったら『自然死・寿命死』が迫ったという意識の転換も求められる。科学・医療・福祉の進歩で自然な死の迎え方を忘れたヒトならではの苦悩は深い。

『尊厳死』は近代的な自我意識や自己決定権に基づくもので、回復不能な末期の病状で激しい苦痛がある時、本人の意思を尊重して自死を選択可能にするものだが、『人間の望ましい老い・死に方の難しさ』は周囲の他者にも納得してもらって罪悪感・後悔をできるだけ与えないようにして死ななければならないという事だろう。

安楽死・尊厳死の議論では、本人が承認しても延命努力の放棄は許されないという反対意見もある。その根底には『自然な死』と『人為の死(広義の殺人)』の区別がある。だが医療・福祉が発達した現代人にとって自然な死は過去ほど明瞭な定義ができず、老いて倒れても自然には死なず、助けられ生かされて死期は曖昧となる。

視点を変えれば、悲観的に捉えられる『孤独死』というのは、生命体としての人間個人の生理的限界(動けない・食べられない・意識を失う)を迎えて死んでいく『自然死』に近いかもしれないが、だからといってその自然死が、医療・介護を受けて周囲の人に助けられながら死にゆく人為の死より良いと思わない人も多いだろう。

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