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介護離職問題の解決に向けた介護ポイント制度の提案:現代社会における介護・老後の相互扶助の仕組みづくり

厚労省は現在の家族構成・労働環境では難しくなっている『在宅介護』を推進し『施設介護』を削減しようとしているので、家族にフリーに動ける人員がいなければ『介護離職』は構造的に増える。

介護離職をしない・させないために、私たちができること

家族・地域社会を主体にした『地域包括支援のシステム』が、夫婦のみ世帯・単身世帯の増加や親子関係の希薄化(距離の遠さ)、地域社会の衰退で機能しづらくなり、配偶者や高齢の子しかいない世帯で『在宅介護』しようというのは難しい。親の経済基盤が弱いほど、有料の介護サービスは使えず介護離職が起こりやすい。

介護保険は『寝たきり・歩行困難(車椅子生活)』に対し『認知症・精神障害』の問題を過度に低く評価している。脳機能が大きく低下していても、身体が元気で動けるならまだ施設介護は必要ないという考え方なので、夜間徘徊や被害妄想、錯乱・興奮、排泄障害(弄便)などに付き合う高齢家族が限界まで追い詰められやすい。

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“生活苦(貧困)・介護疲れ”などを理由にした家族間殺人の増加と自己責任論の圧迫感

現代の貧困は悲惨な事件が起これば『同情論・政府批判』が集まるが目の前の貧困は『自己責任論』で叩かれる。無年金・無貯金の困窮も、健康でもう少し若ければ過去の就労歴を非難される要因になる。

夫婦死亡、殺人容疑などで三女逮捕「生活苦や介護疲れ」

本当に困っているなら生活保護を受ければいいのには…ある種マリー・アントワネット的な他人事の言い草で、生活保護申請で受け得る説教・屈辱・非難を恐れている人は多い、自殺とバーターになる事さえある。生活苦・介護破綻は突然起こるものではなく、じわじわ過去の不足・ツケが積み重なり、気づけば限界を超えている。

中年の長期無職者の再就労の難しさで、面接者が『こんなに長く働かずに何をしていたんですか?普通はもう少し早い段階でどうにかしなきゃと思う』などの自己責任追及の説教モードで来る事があるが、数十年かけて仕事や年金納付が定まらず貧困化していった高齢者も、同様の自信の無さ・不安が強く相談しづらくなっている。

人の自意識や相談の難しさは、『現時点の生活状況・困窮の度合い』だけを見て対応してくれる相手かどうか分からない事であり、過去に負い目があって自省の強い人ほど、生活保護に頼る発想にはいかない。貧窮に対する自己責任の部分も分かっていればこそ、ギリギリまで出来る範囲で働いてダメなら自殺の悲観に嵌りやすい。

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筧千佐子被告の結婚詐欺・連続殺人事件の感想、道路にコンクリートの土台を放置した事件

高齢男性の孤独につけ込む結婚詐欺が連続殺人まで発展した。婚活していた高齢者男性からいくらお金を奪っても足りず、機械的に毒殺を重ねた筧千佐子被告の貪欲と冷淡が印象に残る事件だった。

類似の結婚詐欺殺人で木嶋佳苗の事件もあったが、筧千佐子の青酸化合物による毒殺事件をきっかけにして、警察庁はすべての遺体に毒物検査の検視を実施することを決めている。

追送検の4件不起訴=連続不審死、筧千佐子被告―大阪地検

筧千佐子や木嶋佳苗の結婚詐欺・殺人事件は、個人レベルを超えた時代的解釈としては『男性中心社会・恋愛格差社会への復讐』といった面があるかもしれない。

この金銭目的の婚活殺人を犯した二人は、男にカネ以外の用はないと悟った感じの冷淡さを露わにしている。若い頃には必ずしも女性の魅力で優れた『モテる女』ではなかったことが共通しており、『男女関係において優位に立てそうな男(自分でも十分に魅了できるようなタイプの男)』を選ぶ計算高さも似ている。

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豊かで平和な社会では“美(外見)の相対価値”が高まるか?:時代の余剰によって“美・力・知の原理”に翻弄されるヒト

生物界の自然選択では“美の原理”というのは“健康(生殖能力)の指標”である。類人猿の艶やかな毛並みや孔雀の華やかな尾羽、ハチドリのカラフルな羽などは、それだけ遺伝的基盤が安定していて十分な栄養摂取(食物の獲得)ができる能力があることを示唆している。

「イケメンや美人は出世しやすい」は本当か

20世紀末から21世紀にかけて、先進国における美人やイケメンの相対価値は格段に高くなったとされるが、それは過去の時代と比較して『生存淘汰圧(最低限の生活のためのコスト)』が小さくなり、『美しさ・洗練・セルフイメージの基準を繰り返し喧伝するインターネット+メディアの影響力』が大きくなったからである。

そもそもヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)の婚姻・恋愛を介した自然選択では、『美しさの原理』というのは数千年の長きにわたって女性ジェンダー(見られる性・選ばれる性としての女性)と深く結びついたものであり、男性の美しさ(見た目の格好良さ)というのはまず問題にされた時代がほとんどなかったのである。

フェミニズムの女性研究者たちは、まさにこの類人猿の段階からの自然選択として連綿と続いてきた『見られる性・選ばれる性としての受動的な女性性(女性の主体性を禁圧してモノ化して婚姻で囲いこもうとする男性原理・家父長制)』と戦ってきた側面がある。

つい数十年前までは男性は『外見を取り繕うのは恰好悪い・男は見た目ではなく能力(組織適応と稼ぐ力)だ・生白いなよなよした男など男ではない』というジェンダーを植えつけられ、義務教育では男は外見を格好つけるなということで丸坊主を強制されたり、長髪・パーマ・洗髪なども『不良・落ちこぼれ・生活の乱れ(非正規的な男性像)』として低く評価される時代が続いていた。

女と比較して男は『見られる性(美しさ・格好良さを査定される立場)』として評価されることに慣れていないし、『外見が好みじゃないからあなたじゃダメ(容貌が生理的に受け付けない)』とはっきり言うことさえある最近の若い世代の女性の主体性(選ぼうとする意志)は、男にとって相当な恐怖であり苦痛(プレッシャー)でもあるだろう。

男性を外見で選ぼうとする若い女性の主体性・選好性というのは、『若者の恋愛離』れの一因でもあるし、『外見・美しさにおけるコンプレックス』というのはかつては女性に多かったが、近年は男性のほうにも増えていて『コンプレックス関連産業(見かけを格好よくすることに関係したビジネス)』の市場規模が拡大傾向にあるとも言われる。

確かに、若い世代ほど『平均的と見られる外見・おしゃれのハードル』が高くなっていて、過度に華やかさを競い合って進化の袋小路に陥った孔雀の尾羽のように、ヒトもまた本来の『生存淘汰圧への適応・健康指標』を超えて『社会的・性選択的な高望みの圧力(社会的承認競争+視覚的娯楽のインフレ率)』を高めているのである。

メディアでは一般社会には極めて比率の少ない美人やイケメンが当たり前のように映像として映し出され、容貌が優れている者と優れていない者との待遇の差異(皆にちやほやされて賞賛されるか対人魅力が低いとして軽く扱われるか)がある種のお決まりのクリシェ(紋切り型)となっている。

そこには『勤勉と力の原理(旧来の男性ジェンダー)』が介在する余地が乏しくなっているどころか、容姿を売りにしている著名な芸能人は『美と力の原理』の両面において圧倒的に一般庶民を上回っていることのほうが多い。

少し前までは、男社会では『色男、カネと力はなかりけり』の嫉妬もありきのスローガンで、あいつは外見だけは良くて女にモテるかもしれないが、体格がひょろくて根性がないから『肉体労働・男同士の喧嘩の場』では使い物にならないモヤシのような優男だ、男としての本当の価値では俺のほうが上だという認知(男性ジェンダーの支え)によって『外見上のコンプレックス』はほとんど無効化されていた。

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年末ジャンボ宝くじなどの宝くじは『愚者の税金』なのか?

年末ジャンボ宝くじの1等の当選金が“10億円(7億円+前後賞)”ということで話題になっていて、宝くじ売り場では飛ぶように1枚300円の宝くじが売れている。

宝くじに対しては『控除率の観点(1000円買って500円以下しか戻らないように計算された50%以上の控除)』からも『当選率の観点(高額賞金は数百万分の1以下の当選率)』からも、最も割に合わないギャンブルとして『愚者の税金』といわれることもある。

こういった情報は広く知られているから、宝くじを全く買わない人の中には『愚者の税金・期待値を計算できる賢い人なら買わないはず』ということを強弁する人もいる。だが、厳密には宝くじというのは他の公営ギャンブル・パチンコパチスロなどとは単純に比較できない特殊な期待値を持つ『ローリスク+ハイパーリターン』のギャンブルである。

年末ジャンボ宝くじを10枚か20枚買っても、せいぜい300円か1000円が1~2枚当たればいいほうで、下手をすれば1円も戻ってこないリスクもある。しかし、宝くじやロトくじなど以外のギャンブルでは、1回の勝負でのリターンが『賭け金に比例する(それなりの元手がいる)+1回で数千万円以上のリターンは賭け金が数十万円~数百万円以上でないと有り得ない』という明らかな違いがある。

宝くじ10枚の購入金額は3000円であるが、宝くじの場合には確率的にはほぼゼロであるが、300円でも3000円でも買えば1等当選の可能性としての夢があるのに対して、パチンコでは300円ではそもそも玉を買えず、公営ギャンブルで300円で万馬券が当たってもたったの3万円程度にしかならない。

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大人のADHD(注意欠陥多動性障害),ADD(注意欠如障害)とは何か?:スペクトラム(連続体)と現代の仕事の高度化・難易度

精神医学の精神病理学・診断学において何に注目が集まるのかには一定のトレンドがあり、そのトレンドの形成には「医学会の研究対象・医学論文の発表本数」と「製薬業界のマーケティング・保険診療の利益構造」が深く関わっているとも言われる。

少し前にはうつ病(気分障害)が精神医学において最も注目される精神疾患であったが、近年はこの記事にあるADHD、ADDやアスペルガー障害を含めた「広汎性発達障害(PDD)」に言及する精神科医や著作・論文が増えている。

■ケアレスミスが多い人はもしかして…「大人のADHD」への適切な対応とは

特にADHDやADDについては、かつては「子供にしか診断されない発達障害の一種」だったのだが、大人になってからも「子供時代に見過ごされていたADHD、ADD」が見つかって遡及的な診断・治療を行うこともできるという観点が強調されるようになり、「大人のADHD」と銘打った著作の発行も増えているようである。

これにより、現時点における「社会不適応(物事・仕事・関係が上手くいかない,計画的に物事が進められず実行を担う思考が展開しない,注意力と思考力が低下してミスが多い)」の原因を説明可能な発達障害概念として、ADHD、ADDが注目を集めることにもなった。

ちなみに、かつては「ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder)」という幼児期・児童期に診断するための概念しかなかったのだが、大人のADHDにはADHDにあるべき「不注意・多動性・衝動性(刺激過敏性・攻撃性)」の三大特徴のうち、「多動性と衝動性」があまり見られないということから、不注意(脳の実行統制機能の障害)だけの「ADD(Attention Deficit Disorder)」という概念も使われる頻度が多くなっている。

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