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投資と貯蓄・個別株と投信:日本社会の景気実感や投資における格差拡大の一要因

アベノミクスは異次元の金融緩和と公的資金(GPIF)の株式市場への投入、円安誘導によって、官製相場のプチバブルを継続しているが、日本全体の景気実感は『物価上昇・大手以外の給与減』によって少しずつ悪化しているという調査も出てきている。

一方、都市部に行くと目に付く新車・高級車の比率が増えたり、高いレストランや夜の繁華街で羽振りの良さそうな人たちが増えているような景色もあり、アベノミクスは『投資できる元本・知識・意思(リスクテイクできる機会)』を持っている人とそうでない人との格差を段階的に広げている。

株式市場や投信(信託財産)に関係のない大多数の国民にとって、アベノミクスの恩恵はあまり賃金の良くない雇用を増やしたくらいに留まり、輸入品の物価が上がったり、世代間・給与階層間の格差が拡大したり、日本の国家財政が悪化したり、年金積立金の運用失敗のリスクが増したりといったマイナスの影響も小さくない。

外国人買い物客の消費の影響も大きいが、『高級品・レジャー・シーズンのセールなどの売上』は右肩上がりである。こういったものは不要不急の商品であり、基本的には『使っても懐が大きく痛まないカネ』によって大胆に消費される傾向があるが、今、買われているファンドの投信ランキングを見ると『毎月の配当金の大きなREIT(不動産投資信託)・インフラ関連』が上位に来ているのが分かる。

大手の銀行(ネットバンク)のサイトで投信ランキングを見ると、数百億円~数千億円規模の巨大ファンドが並んでいるが、それらの多くが『毎月分配型』であり、メガバンクや信託銀行は数百~数千万円以上の資産を持つような高齢者層にこれらのREITやインフラ関連、インデックス型、ブラジルのレアル建てなどのファンドを相当な規模で営業して売りつけている。

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餅を喉に詰まらせて死ぬば、餅を規制すべきか?:伝統食も否定されるゼロリスク欲求と古代から続く不老不死の理想

餅はこんにゃくゼリーよりも窒息死の原因になるのになぜ規制されないのかの声もあるが、こんにゃくゼリー含め『食べ方・推奨年齢の一定の注意喚起』があれば何を食べるかは自己責任の範疇であるべき。

餅つまらせ3人死亡、12人搬送 1・2日、東京都内

嚥下能力が未成熟な乳幼児に餅は食べさせないが、高齢者の場合は『伝統食の餅』を正月に食べるのが慣習化している(餅のない正月は想定しづらい)ので、『自分の嚥下能力の低下』を自覚・自粛して貰うのがなかなか難しい。去年まで食べられていたのだから、今年も食べられるはずという老化否定の正常化バイアスは強い。

高齢者は餅を喉につまらせるリスクが有意に高く、年間に数十人規模で死者も出ているという情報を周知しても、それでも自分は大丈夫だと思い、餅が好きだから食べたいという人に絶対に餅を食べてはいけないという権限は誰にもないだろう。餅以外の米・パン・肉だって咀嚼・嚥下能力が低下すれば、詰まらせて死ぬ人はいる。

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努力が報われるか否かの損得感情と努力の持つ本質的な価値(他者貢献とその返報)

石の上にも三年、キャリア数十年の職人技もあるが、『努力の方向性・持続期間・目的のレベル』を調整しながら努力するのが基本だろう。カネ・地位・仕事・異性・自由など何によって報われたいかによっても努力の方法・量・自分の適性は変わる。

「努力は報われるは間違い」とわかり努力が怖い

注意すべきは、『自分の自己満足・能力向上のためだけの努力』ならば、他人がその努力を評価・賞賛しなければならない必然性や因果はないという事だ。相手があなたの事を人間的に好きだったり利害関係でもあれば評価してくれるかもしれないが、他人や社会は子の成長・夢を無条件に見守ってくれる親にまではならない。

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条例を根拠に『子供の声=騒音』と非難される社会構造の背景にある“個人の分断・孤立化(疎外感)”

地域社会の衰退や子育て経験の個人化(共有困難)の要因もあり自分も『子供を含む社会の一部との認識』が持てなくなった為、『自分と無関係な家族・子供の声』は実際以上の騒音として聞こえやすい。

子どもの声を「騒音」規制対象外に 東京都が条例改正へ

子供がうるさい・元気がいいのは当たり前というのは、『地域コミュニティにおける子育て体験・子供のいる環境の明るさの共有感覚』に支えられていた。私もいずれは子供を育てるからお互い様という感覚、私の子・孫も普段うるさくて迷惑を掛けているかもの遠慮が、少子化・未婚化・ライフスタイル多様化で崩れてきた。

例えば、ずっと子供を持たないと決めている人にとっては『私が子供を育てて騒音で迷惑をかける可能性』は初めから想定不能であり、子供嫌いだから子供のいる場に参加しない人にとっては『子供のいる明るい環境の感覚』は共感が困難なものであり、子供が無条件に大人から大目に許容される伝統社会の常識は揺らいでいる。

孤独感・無関係感・疎外感も『他人の騒ぐ声がうるさく聴こえる条件』になりやすい。学校でも自分が参加して騒いでいる時には大声が気にならなくても、自分と無関係な集団が騒いでいるとやけにうるさく感じる経験はあるはずだ。高齢者で子供の声がうるさいという人が増えてきた背景にも、『単身世帯化・疎外感』が影響する。

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増加する中国・韓国に対するヘイト本とヘイトスピーチが生む問題:国家・歴史と個人の多様性の区別がない危険

中国・韓国への真っ当な批判とヘイトの差異は、『国籍・政府・歴史認識と個人の人間的価値の区別』にある。ヘイトは中国人・韓国人の国籍のみで全否定するので相互理解は予め放棄されている。

書店に溢れる「ヘイト本」にNO! 「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」立ち上げ

ヘイトスピーチや排外主義の最大の問題点は『同じ国(民族)の人たちの中にある多様性や個人差』を半ば意図的に切り捨てた上で、極めて単純素朴に『自国民=仲間』『外国人=敵』と二分法で定義してしまう所だろう。仮に自国民の中に『ヘイトに賛同しない個人』がいても、『非国民・裏切り者』として話を聞く事はない。

ヘイトスピーチが作り出す世界観の短所は、『政治・歴史・軍事・民族に余り関心がない中立的な国民』を射程に収められず、政府や右寄りの政治家・知識人の行動・主張が『全国民の同意をがっちり得た思想・判断の代表』とみなされ、何も敵対的な考えを持ってないその国の個人までも『仮想敵・憎悪の対象』に据えてしまう。

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豊かな先進国の自殺率は途上国よりも高いが、なぜ日本は特に高いのか?:システムのレコードと他者(世間)の目線

現代の先進国は医療水準の向上と栄養状態の改善、交通事故死の減少傾向(飲酒運転など交通違反厳罰化・速度の出ない渋滞の慢性化)によって、『乳幼児死亡率・病死率・事故死率・餓死率(戦死率)』が下がるので、必然的に『自殺以外の死因で死ぬ若者の比率』は減ることになる。

生きることそのものが目的化できるほどに、『戦争・飢餓・病気・虐待(身分差別)による淘汰圧』が十分に強い社会では、『動物的な生存・生殖の本能』が先鋭化しやすく、自殺という行動選択が現実的なものとして考えられる頻度が少ない。

学校教育や知識教授による自我意識の肥大も抑制され、大多数の人が自分と同じように貧しく苦しい境遇で必死に生きているため、『自分が何者であるのか・自分の人生がどのようなものなのか・なぜ生きなければならないのか』の自省的・意味論的な思考が人生の中心になる余裕そのものがない。自意識の拡張(優越・豊かさ・見栄への欲)や周囲との差異がないために、『生きるために生きることのハードル』が低くなるので、自殺するリスクは必然的に低下していく。

先進国の学校教育の多くは『生きる力・サバイバル力』よりも『競争する力・専門性を身につける力』と相関するものなので、『学校・企業・役所などの決められた帰属(関係性)と枠組みから逸脱した個人』は経済的にも精神的にも脆弱となりやすいが、先進国では学校・企業・役所と相関しないコミュニティ(ゲマインシャフト)や持続的な自営業は概ね衰退しやすくなっている。

バブル崩壊後の一時的な自殺の急増は、『企業の雇用・社会保障の枠』からの篩い落としから立ち上がれなかった人たちの影響が考えられるが、2000年代前半までの自殺率の高さは、高度経済成長期から日本経済の最盛期までの『一億総中流社会の意識との一体化(人並みのライフステージの進行から脱落することの恥・恐怖と自己否定)』によってもたらされていた側面がある。

2000年代後半からは、格差社会の進展が客観的なジニ係数というよりも『若年層の雇用格差・出身家庭格差・学力格差(意欲格差)の意識』によって露見するようになり、どんな家(親)に生まれても努力すれば中流階層のライフスタイルに大多数の人がありつけるという『一億総中流社会の幻想』が崩落した。

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