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複数の夫の連続不審死事件(財産詐取疑惑):毒婦・保険金殺人の策略と『結婚・恋愛の原理(優位性)』における卑劣な男女の悪意

筧千佐子(かけひちさこ)容疑者(67)は、結婚相談所で夫の筧勇夫さん(75)に青酸化合物の致死性の毒物を盛って殺害し、約1億円の財産と土地・建物を不正に前倒しして相続した罪に問われている。筧千佐子容疑者は、20代の頃の初婚の相手(結局死亡してはいる)とだけは20年程度の結婚を続けたが、その後は結婚相談所などを経由して複数の男性と結婚を繰り返し、その全ての配偶者は死後の体内から毒物が検出されるような不審死を遂げている。

千佐子容疑者が、死亡した複数の結婚相手から相続した財産は少なく見積もっても『5億円』を超えているとされるが、現在の千佐子容疑者は筧勇夫さんから相続した1億円を除けば無一文の状態で、5億円の相続財産のすべてを先物投資や為替取引などのリスク投資で食いつぶして、更に1000万円以上の有利子の負債を抱えていたという。千佐子容疑者は、金銭に終わりなき貪欲さを持つ『守銭奴』であると同時に、財産保有の高齢男性をただの金銭詐取のための道具としか見ない徹底したサイコパス的な気質を持つ『冷血漢(冷血女か)』でもあるのだろう。

青酸不審死、夫が妻にメール「新年は一緒に過ごしたい」

典型的な『生活とカネのための結婚』であるが、60代で出産可能年齢を大幅に超えていながら、千佐子容疑者は『入籍すること(相手の財産を分有できる妻の立場を得ること)』に過度にこだわっており、結婚相談所で希望する相手の条件として『年収1000万円以上・(年収が低い場合には)相応の資産があること・(結婚に反対したり財産の動きを監視するような)子供がいないこと』などかなり強気な条件を立て続けに上げていたという。

特別な美人でも何でもない60代の女性が、そんなむちゃくちゃな厚かましい条件を突きつけて結婚相手など見つかるのだろうかと、20~40代くらいのまっとうな結婚観・男女関係の捉え方をする女性であれば思うだろうが、『年齢不問・自分の異性の好みを度外視・金銭的利害だけに着目・自分の感情的判断を遮断する』であれば、50代でも60代でも甲斐甲斐しく尽くす素振りを見せる(最期まで一緒にいてあげるような態度を見せる)女性であれば、人淋しい(弱気になった)高齢男性をターゲットにすれば可能であるのが現実だろう。

性的魅力が維持された20~40代女性で、『良い出会いがない・安定した結婚生活ができそうな男性がいない』という不満や不安をこぼす人は確かに少なくないが、それは『自分の性的魅力や年齢との一定の釣り合い(職業・収入・財産以外の人として男としての魅力の要素)』を求めているからで、いくら外見(容姿)や年齢にこだわらないといっても、60~70代以上で、異性としては見ることが難しくなった年齢の金持ちの男性などは『年齢要件』によって初めから完全に除外されているからである。

人生の晩年になって人恋しくなり気弱にもなったお金は持っている高齢男性が、結婚相談所(婚活サイト)に登録している場合には、一般的な若い男女の結婚願望とは大きく異なる『男女のカップリングの盲点』が生まれる。

こういった高齢男性は、結婚相手に『若さ・美しさ・性的魅力』などは殆ど求めておらず、『一緒にいて安らげる女性・身の回りの世話や介護をしてくれそうな女性・最期まで離れずに人生に寄り添ってくれる女性』を優先的な条件として探している。

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“要領・愛想の良い若者”や“家事メンの若者”が増えている印象とバランス要求・感情労働の問題

現在のサービス業をはじめとした労働現場で、『要領・愛想の良い若者,テキパキと仕事をこなしている印象の強い人』が増えたという記事を見かけた。

確かに一昔前と比較するとコンビニでも飲食店でもカフェでもアパレルでも、第一印象的(表層の外観的)なものであるが『意欲・接遇スキル』の高い若手の人材が目立つようになり、店舗で(役所でも)やる気・愛想のない接客やテキパキしていない接遇・応対をされる機会はかなり減ったと感じる。

テキパキしていない奴、愛想も要領も悪い奴はどこへ行ったのか

もちろん、店の差や個人差は大きいのだが、約20年くらい前のコンビニの店員には、言葉遣いも服装・髪型も適当なだるそうなヤンキー兄ちゃんがいたり、下手をするとバックヤードに長い時間引っ込んでいて、呼びかけてもしばらくレジに出てこなかったりした記憶もあるし、夜間に店員の友達がたむろしてだべっていたコンビニは翌年にあっけなく潰れていたw

近年のコンビニやスーパー、飲食店でそういったやる気のない店員がいる店はほぼ皆無で、マニュアル教育の徹底もあるだろうが、概ねかなり親切丁寧な接遇(高齢者の顧客には個別に雑談めいた声かけなどもしていたり)に変わっているが、その反動なのか少子化なのかいくら募集をかけても人材不足を解消できない店舗も増えた。

ちょっとお洒落なカフェやレストラン、バー、ホテルなどでも、店員には記事にあるようなつるつるぴかぴかな印象のスマートな気の利く人材が増えている。人目を引くイケメンや美人がそれほど高給ではない店舗のバイトに従事していたりもするが、店舗の雰囲気や店員の感じによってはアルバイトといえども、かなり『雇われるハードル』が高めになっていて、採用条件に文書として明示していなくても『求めている人材の特徴・能力』を暗黙裡に要求しているような感じがある。

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HYDEの『年齢を気にしない』のロングインタビューと全力でチャレンジングに生き抜く姿勢

ラルクアンシエルのHYDEの『年齢を気にしない』の発言は堀江貴文氏も似た事を言っていた。個人的には同意だが『自分はもう年だ・年齢相応に』を口癖にさせる拘束的な社会構造と無難な人生設計の影響は強い。年齢・他者との比較・子供、あるいは職業・経済の下部構造でも自意識は変わる。

ロングインタビュー「HYDE」

精神的に老け込まず、他者に説教臭くならない為にどうすべきか、自分自身が意欲的かつ魅力的に人生に向き合い続けるにはどうすれば良いのかは難しい課題ではある。

節制して太らない(極端に体型を崩したり動きを重たくしない)とかいう身体基盤や意識改革も関係するが、その為に「人並みの生活や常識感覚・手堅い人生設計」など何かが犠牲になりやすい面ももちろんあると思う。

ラルクのHYDEをはじめ、自分の業界で成功して知名度を得たり財を為したりしたアーティストや起業家(実業家)は例外で一般化できないとは思うが、雇用・給与の下部構造の縛りが弱い故の身軽さもあり、「ポジティブ・フィードバックによる気力の充実」の恩恵もあるだろう。

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“団塊世代・しらけ世代・氷河期世代(ロスジェネ)・ゆとり世代・さとり世代”…日本では世代論が好んで語られるが。

世代論は『経済状況・時代背景・集団同調の強度(個人の自由度)』に大きく影響されるものだと思うが、1990年代以後の流れでは『人生・活動・関心の個人化(島宇宙化)の進展』と『中流化によるハングリー精神の低下(その後の中流崩壊の弱気)』といった特徴を指摘できるのではないだろうか。

【保存版】「○○世代」「新入社員タイプ名」いろいろまとめてみました

ゆとり世代は、先行世代の『高度経済成長期(モノの豊かさのために全力疾走した次期)の反動』がもたらしたものであり、受験競争や企業戦士、皆勤主義といった“ゆとりの無さ”を抜け出した先にある先進国的な豊かさへの願望も影響したのではないかと感じる。

ゆとり世代はその後に批判的というか蔑視的な不当な扱いもされるが、それは企業と家計の余裕の喪失もあるし、ゆとり世代だからといってみんなが能力・意欲が低いというような偏見は客観的事実と合致したものではない。

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重無期刑(終身刑)の導入と死刑制度の存廃の議論

近代社会の原則である自由主義と人権思想は、何人たりとも他者の生命や自由を奪ってはならないという『他者危害原則』と最低限の規範・常識を共有する『学校教育制度+公共圏の意識』を前提として機能している。

しかし、“多様な遺伝子・環境(境遇)・気質性格・人間関係・動機づけ”を持つ人間は、その多様性と不完全さゆえに他者の権利(自由)を犯してしまうことがある。

「終身刑」創設の意義と懸念点

人間社会では有史以来、戦争や犯罪、支配制度(階級制度)を含めた『他者を殺害したり危害を加えたり従属させたりする人権侵害の事態』が途切れたことがない。

近代以前の時代には『食糧・土地・資源の絶対量の不足』によって他者を殺したり他者から奪ったりして人や集団が生き延びようとしてきたし、現代にまで至る近代以後の時代にも『個人的な怨恨・不遇・貧困・欲望・衝動を抱えた人たち+既存社会に適応できない人たち(利己的な欲求を非合法的手段で満たそうとする・思い通りにならない現実に対して責任転嫁をしたりやけくそになるなど)』が他者の権利(生存権)や自由を侵害してしまうことがある。

生命・身体・財産にまつわる基本的人権は“不可侵”であるというのが近代思想の啓蒙する内容であるが、現実社会は『基本的人権の不可侵性を尊重し遵守する個人』だけで構成されているわけではないので、『殺人・暴行・強奪・監禁・強姦などによる弱肉強食のメリット(見つからなければ犯罪をしたほうが自分のメリットや満足になるのではないか)』に流される犯罪者が生み出される。

近代的な文明社会に生まれて教育(人間関係からの学び・気づき)を受けながら成長した個人の9割以上は、近代思想の基本的人権の不可侵性を内面化して、『自分が傷つけられたくないのだから他人も傷つけてはならない』という理性的かつ倫理的な人権の持つ規範性を前提化していくので、重大犯罪とは無縁の人生を送ることになる。

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勉強・読書の本質的な意味とは何なのか?:知覚的な現象世界と言語的な普遍世界を生きる人の希望と絶望

アメリカでは成人の約8割が、一年間に一冊も本(電子ブック含む)を読まないというニュースを目にしたが、日本人でも実際にライトな雑誌以外の本・電子ブックを買って読む成人の層というのは、娯楽的な小説を含めてもなお多数派ではない。

一部の読書家が偏って購入していて、『長文(漢字の多い文章)を読むだけで頭が痛くなる・何が面白くて本なんか読むのか分からない』という人もかなりの割合でいる(ネットでも数千文字程度の文章が長すぎて読めない、文意が掴めなくなるという人は多い)。

勉強・読書は人を幸福なリア充にするか?:近代社会と勉強の効用と人生の面白さ

子供時代から読書習慣がなかったことも推測されるが、恐らく生涯を通して教養趣味・知的娯楽としての本(電子ブック)に触れることがないままということになる。だが、実生活や経済面ではそれは致命的な知識・体験の欠落では全くない、読まなくても生きたり働いたり関係を持ったりする分には不都合がないからである。

『時間がない(他に優先すべき仕事・家庭の用事などがある)』というのが本を読まない第一の理由だが、大半の人にとっては『読書よりも面白い活動や遊びがある』からである。しかし、総体的にはそれでも人生や恋愛、家庭運営などにおける致命的痛手を受けるわけではないし、逆にそれなりに読書をしている人よりも『内面の鬱屈・悲観・虚無感』が少なかったり、『実際的な生活面の行動』にはむしろ身軽に動けて意欲的・適応的だったりもする。

それなりに勉強をしてきた人(専門職やエリート職に就くなど職業上のベネフィットもある程度ある人)や読書をしてきた人の中にも、『自分はそれほど幸せではない・世の中はそんなに面白くない・他人のほうが人生を上手くやっている』という不遇をかこっている人は少なからずいる。

こういった人は、『シンプルな人生設計・分かりやすい欲求のストレートな充足(頭の中であれこれ考えすぎない単純な行動原理)』を隣の青い芝生のように見ていたりするが、『複雑な思考・知識の体系に対する執着』と『現実の快的な体験・関係性・金銭における対価』との間の葛藤によって容易には自分の生き方、考え方を変えることはできないのだ。

人間の幸福の典型的な類型として、難しいことをあれこれ考えないシンプルさ、知識・情報に振り回されない単純さを上げる人は少なくないが、それが自分にはできないといって嘆く人(ある種の自己の特別視と情報・知識の過剰に悩む人)もまた少なくないのである。

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