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エマニュエル・レヴィナスの生成の哲学と現代の生きづらさの要因:1

平和で豊かな現代社会において『生きづらさ・生きる大変さ』を訴える人は多いが、その事に対して『貧しくて自由のない昔の時代のほうがもっと大変だった・世界にはもっと悲惨で貧困な地域が多くある』という反論が出される事も多い。

実存哲学の系譜につらなるユダヤ人のエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)は、この第二次世界大戦後の先進国の人間が陥りやすい精神的危機を表現して、『逃走の欲求』と『無数の人生の欲求』という二つの概念を提起した。

自由な人間によって構成される物質的な豊かさと情報的な娯楽で溢れた現代社会は、過去に死んだ人間が甦れば、その外観は(社会適応・稼得能力や資産などの問題はあるが)概ねユートピアの様相を呈している。

だがレヴィナスは飢餓や束縛、運命による強制的な死(不自由)の鎖から解き放たれた人間は、『倦怠・怠惰・疲労』という実存の三重苦と戦わなければならなくなったという。必死に働いたり動いたり考えているから疲れているのではない、何もしなくても初めから疲れている、存在そのものに倦怠するのが現代人という独特の発想である。

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国会議員の歳費カットの特例措置の終了。今後も議員・公務員にかかるコストカットは必要だが。

旧来の政策立案(人材雇用)・広報(印刷)・通信の仕組みや人脈(支持基盤)の維持の仕方、物理的な事務所の確保・移動コストならば、国会議員が政治活動を行うコストは年間数千万円にはなるが、『身を切る改革』というのであれば『一人当たりの歳費減額』が困難でも『両議院の定数削減』から踏み切るべきである。

「議員歳費」って何に使われているの? 歳費カットの特例措置が終了

ネット選挙が解禁されて議員の個人サイトで政策・主張の広報が可能になってきているので、将来的には『紙・物ベースの政治活動』を『ウェブベースの政治活動』へ切り替えていくことでコスト削減も図れる。

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電車のマナー違反に対する注意と『注意の仕方』による相手の反応

ヘッドホンの音漏れは年代問わず遭遇するが、ヘッドホンの機能の問題なのか音の大きさの問題なのか…外で聴く時にそこまで大きくしなくても良いと思うが、『他者・外部環境』を遮断したい気持ちの現れともいう。

電車のマナー違反、注意する?「注意した……7.2%」「注意したい……33.5%」

同じ大音量で聴く人でも、車・バイクにウーハーを搭載し重低音を響かせる人は、『自分の世界に没入し他人に干渉されたくないヘッドホン派』とは違い、『自分の世界の魅力を他人にも承認して欲しい欲求』が絡み、人にイケてると思う楽曲を聴かせようとするが、皆の趣味や気分がそれに合うとは限らないという想像力が欠如。

電車内のマナー違反にしても『自分の行動・発言が一般的に他者にどのように受け取られるかの想像力』があればしなくて済むものだが、公共空間で『自分だけの世界に閉じこもりたい防御』『自分をもっと見て欲しい自己顕示』『自分たちが楽しければそれでいい無関心と騒動』のどれが過剰になってもマナー違反に近づく。

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“国家(法権力)”や“経済(市場・金銭)”に依拠する人が増え、“社会(他者)”を信じない人が増えた現代をどう生きるか?

現代では統計的な凶悪犯罪や自動車事故の発生件数が減っても、『体感治安(危険実感)』は高いレベルで推移しており、相対的に安定した仕事をして豊かな暮らしをしている人でさえも『将来不安(今上手くいっていてもどこかで大きな困難に直面するのではないかとの不安)』が尽きること無く高まっているような状況である。

日本列島には約1億3千万人もの日本人が生活しているが、人口が少なかった時代よりも他者との直接的な助け合いや心配・配慮が行われにくくなり、大多数の人は孤独感・疎外感を感じて他者を信じなくなり、家族をはじめとする近親者と国家の提供する福祉制度、企業が与えてくれる給与・保障以外には『頼るべきもの(生きる術+心の支え)』を持ちづらくなっている。

大半の人は、企業からの安定した雇用(キャリア)や給与を失って、国家・行政の提供する社会福祉・公的年金のセーフティネットからこぼれ落ちればアウトであり、プライベートな人的ネットワークやコミュニティの相互扶助によって『国家・経済以外のセーフティネット』を自前で構築しているという人は極めて少ないし、都市部では特異な宗教団体でもない限り、そういったコミュニティを結成することは困難だ。

その意味において、一部の村落共同体のような地域を除いて、日本の都市部において『社会(中間集団の市民社会・互助の連携)』は死に瀕してしまったといえるが、バラバラの個人が自己責任のもとに金銭を稼いで保障を手に入れ、得たモノに対する『排他的な独占』を主張して守りに入るというライフスタイルにとっては、基本的に他者を受け容れる余地が極めて乏しい。

近代社会は、村落単位の農業のような共同的労働ではなく、各個人の学歴・職歴・資格・技能などに応じて個別の所得や処遇が決定される働き方であるため、同じような場で働いているからといって農業のような『共同的労働の連帯感・仲間意識』といったものは生じにくく、(自分の力で勝ち取ったと感じる)報酬に対する独占意識は極めて強い。

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現代社会で無関係な他人を注意する難しさ。他人を注意する立ち位置と影響力。

関係性のない他人を注意する事は難しい時代。犯罪未満の迷惑行為を注意する理由は『公共性・常識感覚』になるが、一般人では説得的な影響力のある立ち位置が概ね定まらない。

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迷惑行為やマナー違反を注意する場合でも、『行為の客観的な評価』だけでは収まらず『注意する人と注意される人との関係性・感情的葛藤』が絡み、大半の人は『注意の仕方・言葉遣い』で迷うもの。幾ら迷惑行為をしていても高圧的・指示的な物言いで注意できるのは関係や威圧感において優位な立ち位置にある人だけとも言える。

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静岡県沼津市の小学生男児の交通死亡事故:理不尽な事件・事故のゼロ化への欲望の向かうところ。

29歳の中学校教師が運転する軽自動車が、10日午前6時55分ごろ、静岡県沼津市松長の県道交差点で中央線を越えて小学校4年と5年の男子児童2人をはねて、小学校5年生の男児が死亡したという自動車事故。

2児はねられ小5死亡 運転の中学教諭、過失致死傷容疑

子供が犠牲になる自動車事故はより一層の悲しみや理不尽を感じやすく、当事者以外にも共感・同情されやすい。また、死亡事故を起こした加害者への怒り・不満・処罰感情が集中しやすく、インターネットでは交通死亡事故や無謀運転の結果の事故を引き起こした加害者には痛烈な道徳的非難や人格否定のコメントが叩きつけられることになる。

一方で、意識や認知、能力、健康状態が不完全な人間が運転する車は、どれだけ注意していても死亡事故の刑罰を引き上げても、確率論的に交通事故を起こすという側面を否定できず、重大事故や死亡事故を起こした加害者にしても事故を起こしたくて起こしたという人はほとんどいない。事故後にどれだけ激しく罵倒されたり誹謗中傷されても、それによって現状以上に交通事故件数や交通事故死者数が大きく減る可能性は低いだろう。

高度経済成長期に毎年約1万5千人以上の交通事故死者を出した『交通戦争』と呼ばれた1960~1970年代の時代から比較すれば、交通マナーの向上や飲酒運転・危険運転の厳罰化が為され、人命を奪い人生を狂わせる自動車事故の恐ろしさの啓蒙が進んだ現代は、かつてよりも交通事故で死ににくい時代(認知症者なども含む高齢者がひかれる事故件数は増加しているが)になってはいる。

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