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AKB48やEXILEは『反知性主義・反教養主義』の象徴であるという主張

が『内田樹&名越康文の辺境ラジオ』というラジオ番組で語られたらしいが、芸能・スポーツをはじめとする大衆文化というのは歴史的にも心情的にも『反知性主義・反学歴主義』であるのが普通である。

http://blogos.com/article/77754/

国民総員が知性・教養・文化主義(分かりやすい物理的・性的な価値の否定と非職業的な文化教養への耽溺)に傾けば、おそらく産業経済の生産力・雇用は維持しづらくなるし、『難解なロジックや意味づけ、専門的訓練が不要な直感的かつ本能的な魅力』は人間の社会再生産や労働意欲にとってはむしろプラスに作用することも多いかもしれない。

端的には、学校・官庁・企業の積み上げ型のキャリアが形成する『学力・勤勉・職能職歴・人脈などをプラス要素とするピラミッド型の階層構造』とは異なるフレームワークを作り出すのが、近代以降の芸能・スポーツの領域の役割である。

歴史哲学的に言えば、芸能・スポーツは『中心に対する周縁の価値体系』を構築することで、社会構成員の大多数を占める『大衆層の夢・娯楽・憧れ』を作り出す。華やかさや面白み、魅力に乏しく見える政治経済エリートのカウンターカルチャーとして、芸能・スポーツは『現代のサーカス』として喝采されると同時に、政治経済システム中枢の動向に対して国民の無関心を強めるバリアにもなる。

それらは、マーケティング・宣伝戦略を典型として経済活動の促進にも当然応用されるのだが、芸能・スポーツの一線級のタレント(選手)は、誰もが心のどこかに持つ『文明化・管理化・家畜化されたくないという人間の本能(=身体性・生物学的感受性)』にダイレクトに作用することで支持・人気を集める力(カリスマ性)を持つ。

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尊厳死の法制化と“自己決定権・暗黙の尊厳死圧力”を巡る倫理学的な問題点

『尊厳死・安楽死』の問題の根底にあるのは、“人間の身体・生命(生存権)”は自分だけのもの(自分の生死を自由意思によって選択できるもの)なのか、ある程度の公共性を帯びたもの(自分の意思だけでは決められないもの)なのかという倫理学的・直観的な判断である。

尊厳死法制化へ動き=超党派議連、通常国会目指す

尊厳死が『自己決定権あるいは自己所有権の範疇』に含まれると判断するのであれば、尊厳死は法律的にも倫理的にも道義的にも認められるべきものとなるだろう。

だが、誰も被害者がいない売買春・マリファナ使用が法律や倫理で禁止されている国が多いように、『自己所有権・自己決定権(自分の生命・身体なんだからそれをどのように用いようが他者を傷つけない限りは自由という主張)』には一定の他者のまなざしや印象、影響と関係する制約がつくことも多い。

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ドコモの『歩きスマホ防止機能』に見る人間個人の自由意思・判断力に頼らない行動(マナー違反)の制限

全自動運転車の開発やアルコール検知器によるエンジンスターター制御などにもつながる発想だが、個人のモラルや自由意思(判断)に頼らずに、技術的に好ましくない行動がどうやってもできないようにしようとする『環境管理型権力』の現れではあるかもしれない。

歩いている時にスマホを操作できないというのは『子供限定の安心機能』ならまだ良いかもしれないが、非常時に電話を掛けなければならない時に操作が困難になったり、センサーの感度が過敏になり過ぎて僅かな振動でも操作ができなくなったりなどの弊害も考えられる。

ドコモ、「歩きスマホ防止機能」を提供開始……警告画面を表示して操作を制限

『迷惑行為・マナー違反・危険行為』などに対して、従来は違反をすれば罰するとか違反をしないように教育するといった方法が主流であったが、ITや監視技術が発達する近未来においては『個人の自由意思・判断力・倫理感』を問わずに(本人がルールやマナーを守るか否かなど関係なしに)、技術的あるいは事前操作的に確実にコントロールしようとするタイプの環境管理型権力が強まってくる流れは不可避だろう。

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大阪市東淀川区のUR団地で31歳女性が餓死の疑い:SNEP・無縁社会・不適応(各種障害)の家庭への囲い込み

ニュースの第一報を読んだ時には、60代の母親と一緒に暮らしている時までは娘の31歳女性が存命だったような書き方だったが、倒れている母親が入院したわずか1ヶ月後に餓死の疑いで死亡しているのに、『死後1ヶ月以上が経過』とあったのが気になった。

実際は、母親が10月に入院した後に娘が死亡したのではなく、『母親の入院日時』よりも『娘の死亡日時』が早かったようで、『7月頃から妹と連絡が取れなくなっていた』と兄が話しているので、その時期の前後に死亡していたのだろう。

団地で31歳女性餓死か、半袖・半ズボン姿

恐らく経済的に困窮して電気・水道・ガスのライフラインも止められた中、母親は娘の遺体と暫くの間一緒に暮らしていたというか、無気力状態のまま自分も衰弱していったのだと考えられる。

栄養失調か何らかの疾患の発生で母親が倒れていたところを、家賃滞納や連絡不能を疑問に思ったURの管理会社が発見したという流れだが、押入れで寝起きしていたという娘(母が倒れている時には既に押入れで死亡しており夏場の服装のままだった)の存在には気づかないまま放置されてしまったようである。

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『他人の嫌がること+他人にさせたいこと・社会共通の目的(同調圧力)』とハラスメント概念の拡大が意味する変化

結婚や子供、恋愛などプライベートにまつわる繰り返しの質問やジェンダーの性別役割の強調・推奨もセクハラ(セクシュアル・ハラスメント)に該当するというニュースを受け、『何でもかんでもハラスメント(不当な嫌がらせ)にしてしまうと社内でのコミュニケーションができなくなる』や『嫌なことを言うことによってその人にその行動を間接的に強制することでかつては慣習的な規範が保たれていた(嫌なこと=ハラスメントなら他人の行動を社会通念や共通の目的に合わせて左右できなくなる)』などの意見が見られた。

男のくせに・結婚まだ?…同性間でもセクハラに

他人の嫌がることを言ったりしたりしない、相手の同意なく相手に深く干渉しない(自分は自分、他人は他人の境界線をしっかり引く)というのは、現代の中心的な価値観だが、こういった『他者への不干渉・自律性による自己選択(自己責任)』という欧米流の豊かさに裏付けられた個人主義は日本の伝統にはなかったものである。

そのため、『他人の同意なく嫌がることをしてはいけない(広義のハラスメントの禁止)』という規範は、日本の歴史や家族、伝統社会(村落共同体)では殆ど重んじられては来なかったし、そもそも『個人としての他人(共同体と区分される物理的・内面的なプライバシー領域を持つ個人)』が日本の歴史で出現してきたのは戦後になって暫くしてからの話である。

昭和中期、田舎から都会への人口移動は、産業構造の転換によるものではあったが、伝統社会の維持と反復に個人の人生全体が包摂される田舎(前近代)から、『個人で構成される選択の余地がある都会』への憧れに突き動かされたものでもあった。

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高齢者の万引き問題と経済的困窮・社会的孤立

高齢者の万引きの要因には、『盗まなければ生活ができない』あるいは『できるだけ節約しないと生活が苦しい』という『無職(年金外収入ゼロ)・低年金・無年金・親族支援なしなどの経済的困窮』の要因が大きいが、それと合わせて周囲に自分の存在を認知してくれて語りかけてくれる(心理的なケアとしての対話をしてくれる)相手がいないという社会的孤立の要因も大きいだろう。

犯罪白書:65歳以上の高齢女性の万引き急増 刑務所へも

高齢化社会が進展して全人口に占める65歳以上の人口比率が上昇していること、核家族化が進行して夫婦のみの高齢者世帯、配偶者の死後の独居世帯が増加していることも合わせて考える必要があるが、『家族の少人数化(子・孫の数の減少),子・数がいる人の場合でも別世帯化』によって共同生活的な相互扶助機能の喪失、人的な支援や対話機会の欠落という変化も急速である。

年金収入や金融資産などの経済状況は、『高齢者の活動範囲・交友関係・アクティビティ』にも一定の相関があるはずで、『低年金・無年金・無貯金』だと高齢者同士の遊びや会合にも参加しづらくなり、基本的に旅行・買い物(街遊び)・食べ歩きなどのお金のかかる遊び方はできなくなる。

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