うだるような暑さで汗が滴り落ちてぐったりする猛暑日といえば、お決まりの問題として『熱中症(その中でも重症度が高い日射病)』がイメージされるようになったが、高気温・高湿度は精神状態にも影響を及ぼすことのある『生理的ストレス』である。
元々の性格(パーソナリティ)が冷静・温厚で常識や節度のある人であれば、生理的ストレスによるイライラや怒りやすさ(易怒性)、興奮・衝動を抑制して直接他人に不満をぶつけないようにできる。だが、元々の性格が短気・攻撃的でストレス耐性が低いために不快状況を我慢できないような人は、『生理的ストレスによる他罰性のイライラ・責任転嫁の暴言・被害者意識による反撃』が起こってくる頻度が有意に高まる。
JR高田馬場駅構内でスプレー噴射、女逮捕=トイレ順番待ち中、傷害容疑-警視庁
ちょっとしたトラブルや言葉の行き違いで喧嘩や事件が勃発しやすくなったり、あるいはそれまでに溜め込んでいた不満・怒り・我慢を抑制できなくなって、『家族間・友人間・利害関係者間での大きな事件』が起こりやすくなったりもする。
東京都新宿区のJR高田馬場駅の女子トイレで、容疑者の29歳女性が催涙スプレーを撒き散らして、1人が皮膚炎を発症して7人が病院に搬送された事件も、『元々の短気・攻撃的な性格+従前の不満・苛立ちの多い落ち着かない状況』に『猛暑の生理的ストレス』が加わったことで起こった可能性がある。
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若い人が自分の将来において、インターネットを長時間使えるようなライフスタイルを無理なく導入したいのであれば、『ウェブでの学習・仕事・セルフマーケティング・稼働(収益)の機会』を意識しながら、遊びや娯楽、おしゃべりばかりではない『効果的なウェブの使い方(ウェブを使うことが自分にとって何らかの実際的な仕事・利益・楽しい関係につながるような使い方)』を身につけることが必要になるかもしれない。
中高生のネット依存症とライフスタイルの変化1:ネット依存症が起こりやすい要因とその問題点
物理的世界(従来のリアル世界)における『身体性』を軸にした仕事や運動、勉強、娯楽、人間関係、コミュニケーション、経済行為も大切であるが、それと同時にネット世界が『もう一つのリアル世界』としての存在感・時間消費率を高めてくるのは必然の流れであり、『従来のリアル世界』と『もう一つのリアル世界』を各人がどのように有効に使い分けるか、毎日を楽しめる知的・情緒的・持続的なライフスタイルを作り上げられるかが近未来の課題になる。
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ネット依存の中高生、国内に51万人 厚労省推計
いわゆる『ネット依存症』に陥る大きな要因は、以下の4点に集約できる。
1.他者とコミュニケーションするためのコストがゼロに近く、365日24時間いつでも話そうと思えば誰かと話せる(寝ている友人などから即時の返信はなくてもメッセージだけを送ったりできる)。
2.ウェブ上の情報量と娯楽のバリエーションは、個人から見て実質的にほぼ『無限』であり、『環境・相手・サイト・ゲーム』を変えれば飽きるということがなく終わりなく続けられる。
3.『朝・昼・夜』といった時間区分や『営業時間』といった時間制限が存在しないため、24時間いつでも情報・他者・サービス・ゲームにアクセスできる。『ウェブの時間感覚(区切りのない無時間性)』が『現実社会の常識的な時間感覚(学校・会社・役所・お店の時間など)』からズレやすい。
4.現実社会と比較すると『お金』『人間関係』『社会規範』に縛られにくい環境であるため、『お金が足りないからやめる』とか『親・先生・警察などがもう遅いから帰れ(明日の学校があるからもうやめろ)と注意される』というようなウェブ時間を抑制する動機づけが働きにくい。
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ウィリアムの父親のチャールズ王太子と故ダイアナ・スペンサーとの結婚式・出産・離婚も凄いメディアスクラムだったが、チャールズの話題性を引き立てていたダイアナ元妃がパリで不審な事故死をした時もパパラッチの騒ぎ様は異常であった。
キャサリン妃とウィリアム王子はピザで出産祝い「これまでにない最高の幸せ」
スキャンダルが原則としてない日本の皇室と比較すると、英国王室は庶民以上に何でもありの『オープンな王室』になっているが、ウィリアム王子の国民的人気はダイアナへの不誠実な対応が多かった父チャールズよりも高いとも言われる。
EUの大国であるドイツとフランス、イタリアは君主制(王政・帝政)を完全に廃止してしまったが、イギリスだけは未だにウィンザー朝の立憲君主制を維持しており、イギリス国民の王室の存続を願う声も強いものがある。
天皇(朝廷・神道の主宰者)と征夷大将軍(武家の棟梁)という『二重権力構造』を持っていた近世までの日本は特殊だったが、天皇主権(国民の臣民化)を憲法に明記した明治以降の国体確立で、敗戦時に天皇制は『廃絶の危機(戦争犯罪の責任追及による断絶の危機)』に瀕した。
国王・天皇が三権と軍を掌握する最高権力者になるということは、『失政・敗戦による責任』を一身に受けるということである。日本の天皇はGHQの占領統治方針(天皇崇拝者によるゲリラ戦回避)によって責任を政治的に回避できたが、大東亜戦争の敗北は天皇制そのものが国体思想(日本の国家の本質・価値を天皇の系譜の存続であるとしてそれを守るためには全てを擲つべきとする思想)と共に廃止されてもおかしくない転換点ではあった。
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『反復的な衣食住の生活・協働的な関係』に興味を持っているかどうか、『何気ない生活場面・メンバーが固定された関係性』を楽しめるか否かの違いによって、結婚生活の評価も大きく変わる。
既婚者が語る恋愛と結婚の違い9パターン
『生活そのものへの興味関心』が薄い人(衣食住・家事などは二の次で構わないというような人)だったり、『毎日顔を合わすような生活』への憧れが弱い人(恋愛で月・週に数回会うことさえ面倒に感じてしまう人)だったりすると、結婚生活への適応力は一般に低くなるが、『相手に干渉する度合い(自分と相手にとって心地よい干渉レベル)』のバランスも重要になる。
あまりうるさく構われたくない人(基本的に自分のことは自分でやる人)もいれば、もっと構って欲しい(あれこれ世話を焼いて欲しい)という人もいるわけだが、そのバランスが大きく崩れると一緒に共同生活を送ることが極めて困難になってくる。
昔の亭主関白のように『風呂・飯・寝る』の人は今では滅多にいないだろうが、自分だけが働いて給料を全て家に入れる立場だったりすると、それに慢心して自分が扶養しているのだから何でもかんでも優しくしてくれて当たり前のように思い、『平均的な家事育児・会話内容』に満足できないような人も出てくる。反対に、夫婦共働きだと『自分と相手との家事育児の負担』について、専業主婦(主夫)の人よりもセンシティブな不満感・不公平感を抱きやすくなるという問題もあり、『家にお金を入れている度合い+それに見合う自分への家族の感謝や優しい対応』にこだわることで、逆に結婚生活が破綻することもある。
中長期的にはどちらかが『以前と同じテンション・相手への好意や協力』を維持できなくなってくれば、夫婦関係も悪化していきやすいが、『それぞれの人生・活動・趣味・関係』を尊重する(いつもべったり一緒にいなくても良い・相互の自由時間を確保するために気を遣う)という適度な距離感が開いていくことで安定することもある。
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現実社会の法律や常識、職業選択と対立する『不良集団(非合法活動に関与する集団)』は、一般的に『仲間の大切さ・裏切りへの制裁』を絶対的な規範にすることが多く、『仲間内でのルールや貸し借り』を『一般社会の法律や常識』よりも優先してしまうことが多い。
この記事の内容は、前回の『広島県の女性集団暴行死事件と『家庭機能・学校‐就職の経路・共同観念』を喪失した少年少女の集団心理:1』の続きになっています。
自分の行為が社会においてどのように認識されるのか、法律によってどのように判断されるのかを考えるのではなく、『仲間集団においてどのように認識されるか・仲間の価値観やルールに合っているか』のほうにより上位の価値観を与えてしまうということだが、こういった心理は極端な違法行為の免罪や認識する視野の狭窄を抜きにすれば、『身内・仲間・知り合いの言動に配慮する,その場の支配的な空気に同調してしまう』という形で誰にでも見られやすいものではある。
本来であれば、親とのコミュニケーションや学校で教育される社会の仕組みにまつわる知識・情報、他者と意見を取り交わす体験を通じて、『社会構成員に一般的に通用する共同観念』を形成していくものである。
しかし、上記してきたような『家庭機能の低下・学校教育からのドロップアウト・早い段階での経済的自立の圧力(親・教師の保護や指導の欠如)・スキルや資格による就職の選択肢の放棄』などの要因があると、『法律・倫理・政治・常識・慣習といった社会全体で通用する共同観念』を身につけることができず、『自分の周囲にいる仲間との関係性・利害関係』の中だけで生きているような『現実認識の視野狭窄(広い社会や一般的なルールが全く目に入らない友人関係の生活様式にはまり込む)』が起こってしまう可能性が非常に高くなる。
現代日本ではかつて浮浪児と呼ばれたようなストリートチルドレンを見かけることはまずないが、『家庭・学校・職場における居場所や自分の存在意義(まっとうに働く意義)』を見つけられない少年少女が社会を漂流し始めている状況が生まれている。『お互いの必要性・役割分担を認める仲間』に経済的・精神的に依存することによって、『集団内の力関係・ルール違反・同調圧力』に異常にセンシティブにならざるを得なくなり、『集団の外部の立場・目線』からすれば、たったそれくらいのことで(そんな仲間なら切り捨てれば良いのに)という馬鹿らしい理由で集団暴行・殺人(粛清)に及んでしまうこともある。
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