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栃木・那須のスキー場での雪崩死亡事故とリスク管理の甘さ:雪山登山やアウトドアに一定のリスクはあるが

自分だけの登山・訓練ならまだしも、教え子の命を預かる状況では軽率な判断である。悪天候で茶臼岳の往復登山の実技講習を中止はしたが、何もせずに帰る事を忌避する登山者の傾向が事故を招いたか。

<那須雪崩>歩行訓練開始判断が焦点 県高体連詳細把握せず

遠征登山で遭難事故を起こす原因の一つに『せっかく時間・お金をかけて現地まで来たのに何もできず手ぶらで帰るのは嫌(天気は悪そうだがギリギリ大丈夫)』という物惜しみもある。冬山は特に気象条件が悪ければ撤退が原則だが、『登山で斜面を登らず、麓付近の樹林帯でラッセル訓練なら何とかいける』の見通しが甘かった。

新聞記事の詳細な時系列では、前日午前に既に翌日の『大雪・なだれ注意報』が出ていた。午前2時には積雪2センチで降ってないが、午前6時には積雪24センチ、一晩で大量の雪が降った。わずかな温度上昇で表層雪崩が起こりやすい、上に柔らかい雪が積んだ状況になっていた。スキー場の麓近くでも雪崩は来る。

自然の冬山は危険だが、人工的に圧雪管理されたスキー場なら比較的安全という意識は根強いが、この登山講習が行われた時にはスキー場はシーズンオフで、雪面のチェック・管理の作業は行われていなかっただろう。3月の気温変化と一晩での大雪、当日の吹雪、斜面下のラッセルの条件から、スキー場に出る事も危なかった。

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那須温泉ファミリースキー場で、春山登山講習中の高校生ら10人が雪崩に遭う:雪山・ゲレンデの危険性と雪崩注意報の重視

那須温泉ファミリースキー場という人工的に整備されたゲレンデでも雪崩は起こるが被害規模が大きい。現地の表面の雪の観察だけでは安全確保は困難で、気象庁の雪崩注意報に慎重な判断で従うべきだった。

<雪崩>高校生ら遭難6人心肺停止4人不明 栃木のスキー場

厳冬期の登山が一番危険とはされるが、残雪・シャーベットの部分と新たに降り積もった部分が交じる3~5月の北日本の雪山は『表層雪崩・アイゼンが抜ける滑落』が怖く、確実な安全登山はやりにくいように思う。5月のGWですら日本アルプスや北海道の残雪の山では毎年のように雪崩・滑落の絡む遭難事故は起こるが。

恐らく登山部かワンダーフォーゲル部とかで冬山登山に熱心な高校生も多かったと思うが、春山安全登山講習中にもっともリスクを考慮すべき雪崩遭難に巻き込まれたのは不運だ。降雪状況から雪崩注意報が出されていたならば、指導者のガイドか学校教員が安全登山の練習なのだから念を入れて中止してほしかった。

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田舎より都会のほうが歩く傾向:本多勝一の登山評論(山に憧れる都会人)からの思索

田舎は車社会で歩かない、都会は駅・バス停から歩くということだが、歩数の差は大きなものではない。本多勝一の登山評論に『登山とは都会的・文化的現象である』の言葉があるのを思いだした。

田舎より都会の方がよく歩く 3万4千人の歩数計を分析

山国の田舎に育った人は生活のために山に入るかもしれないが、都会で育った登山家のように実利なく危険を冒して山登りすることに特段の興奮・意味を余り見出さないという。実利的ではない余分なことに意味・価値を見出しのめり込むのは都会人で、『車移動が楽』だけど『敢えて歩く意味・面白さがある』と文化的に解釈する。

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雪山のスノボで遭難し救助中に死亡した男性の遺族が北海道警察を提訴:最高裁が山岳救助の過失・賠償を認めたが…

雪山のスノボや登山は基本自己責任で本人は了承しているはずだが、雪山を知らない遺族からすれば『救助隊の管轄内の致命的ミス』に見えたのか。故意でない救助中の過失は免責すべきと思うが。

「山岳救助に過失」賠償確定=死亡男性遺族、北海道警訴え―最高裁 (時事通信社 – 12月01日 18:01) (12月02日)

雪山の自己責任は原則だが、遭難したくてする人がいないのもまた前提だから、最低限の救助活動が行われる。リスクのある雪山登山には日本山岳会などが世界の高峰を目指した歴史や近代のアルピニズム文化もあり、『雪山環境へのチャレンジやアクティビティ』には一定の文化娯楽的・思想的な価値も認められるべきとは思うが。

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植村直己の登山・極地探検とデナリ(マッキンリー)での遭難死:次の目的地を求める人類

冒険家として知られる植村直己(1941-1984)は、1984年の冬季マッキンリー(デナリ)の単独登頂後に行方不明となり死亡認定されたが、1980年代というのは未踏の高峰・密林や過酷環境の横断(縦走)という『人類の限界挑戦の課題』が終わりを迎えようとしていた時期であった。

人類が登頂していない世界の未踏峰が消え、人類の能力で横断・縦走に成功していない過酷環境の土地が無くなりかけていたのが1980年代半ばであり、植村直己自身も『次の冒険の宛先』を見失いかけていた。

次の冒険として北極点到達に続く『厳冬期のエベレスト登頂・南極点単独犬ぞり探検』が計画されてはいたが、エベレストは竹中昇の死去・悪天で断念し、南極点もフォークランド紛争勃発で軍の協力が得られなくなって諦めていた。

北米大陸最高峰のマッキンリー(6,190m)はアメリカの大統領ウィリアム・マッキンリーにちなんだものだが、2015年にアラスカ先住民が呼んでいた元々の山名である『デナリ』に変更されることになり(こういった一度は土地の支配者による命名が為された後に、再び原住民の元の呼称に戻るという名前変更は近年では政治的正しさの影響で多くなっているようだ)、マッキンリーという慣れ親しんだ山の名前は公式には消えたことになる。

植村にとってマッキンリーは既に1970年に登頂した山であり、この時に世界初の五大陸最高峰登頂者にもなっていたが、厳冬期に敢えて登ってみるという以上の意味合いはなく、この登山そのものは植村の個人的な意思に基づくもので、スポンサーはつかず注目もされていなかった。植村は自分自身の冒険に区切りがついたら野外学校設立を目指してもいたので、インターバル的なマッキンリー登山(厳冬期の死亡率はエベレスト以上に高い山だが)で遭難死したのは運命ではあった。

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ヒマラヤ登山の極限状況と死亡リスク:人類のヒマラヤ山脈8000m峰への挑戦の歴史

マナスルなど標高8000m以上のヒマラヤ登山は、現代の登山の道具・装備・シェルパの案内があっても安全策を採らなければ5%以上は死亡率がある。天候悪化・滑落・怪我で簡単に死ぬ環境で覚悟が要る。

ヒマラヤ登山の日本人男性が行方不明 登頂後に滑落か

ヒマラヤの8000m峰への登頂は、20世紀半ばまでは『人類の登攀・登頂能力の限界に挑戦する夢』であり、実際1950年のフランスのモーリス・エルゾーグとルイ・ラシュナルによるアンナプルナ登頂まで公式記録では、誰も8000メートル以上の超高所(生命の長期生存限界)の頂に立った人間はいなかった。

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