キラキラネームは名前が子の特別な運命を規定すると思う言霊思想の現れ。だが人生とはその子が自分の能力・資質・努力を発揮する現実的なプロセスで、名前だけ立派・個性的でも仕方ない。おじさん・おばさんになった時にも違和感なく名乗れる名前が望ましい。
漢字の音訓読みの範囲ならキラキラネームでも良いと思うが、『光宙(ぴかちゅう)・世歩玲(せふれ)・皇帝(しいざあ)・黄熊(ぷう)・泡姫(ありえる)』など、意味や語感が不適切な名前をつけると子の不利益になりかねない。
キラキラネームは名前が子の特別な運命を規定すると思う言霊思想の現れ。だが人生とはその子が自分の能力・資質・努力を発揮する現実的なプロセスで、名前だけ立派・個性的でも仕方ない。おじさん・おばさんになった時にも違和感なく名乗れる名前が望ましい。
漢字の音訓読みの範囲ならキラキラネームでも良いと思うが、『光宙(ぴかちゅう)・世歩玲(せふれ)・皇帝(しいざあ)・黄熊(ぷう)・泡姫(ありえる)』など、意味や語感が不適切な名前をつけると子の不利益になりかねない。
ジェンダーを離れた男女平等な子育ては人類史上で殆ど経験がなく、先進国でも『人権の理念+男性所得低下+女性の選択権強化』で間接的に要請されてきた。妊娠・出産による女性の心身状態の変化に適応できなければ離婚リスクが上がる。
一昔前は確かに男が父親として母親と同等の育児義務を果たす家庭は少なく、『男は仕事・女は家事育児のジェンダー(性別役割規範)』が社会で共有されていたので、子供ができても男はひたすら仕事をしてお金を入れていれば良かった。母・祖母など家の女性コミュニティが出産・育児のあれこれを担当する事も多かった。
現代ではその性別役割を満たす十分な所得を稼ぐのが難しい現実がある。女性も出産後数年で正規雇用に戻って働く人も増えたし、パートでも女性も基本的には働き続ける社会に移行している。全面的に扶養されている訳でもなく夫が家事をしないと『自分だけ働いて世話までしている被害感』が強まるのは必然だろう。
どうして男だけそこまで気を遣って機嫌を取らなければならないのかの意見も多いが、これは男性原理と女性原理の逆転、『かつての弱い女性の立場に男性が置き換えられる事もある現象面』として解釈できるか。昭和期まで女性が経済的に自立できない事や離婚の不利益で結婚の忍従・苦難は多く妻が夫の機嫌を取る事も多かった。
男性と女性が対等(フラット)な関係でお互いの人格・苦労を尊重しながら協力していくのが『結婚・家族の理想』ではあるが、どちらかが『自分だけ不当に苦労させられている・相手は最低限の役割さえ果たしていない(家にいると邪魔)・私がいないと困る癖に』と思い込むと、『家庭内の権力構造の弊害』が生まれてくる。
続きを読む 産後クライシス、“夫”と“妊娠中・子育て中の妻”とのすれ違い:男はなぜ結婚生活で気を遣わなければならない事が多いのか?
地域社会の衰退や子育て経験の個人化(共有困難)の要因もあり自分も『子供を含む社会の一部との認識』が持てなくなった為、『自分と無関係な家族・子供の声』は実際以上の騒音として聞こえやすい。
子供がうるさい・元気がいいのは当たり前というのは、『地域コミュニティにおける子育て体験・子供のいる環境の明るさの共有感覚』に支えられていた。私もいずれは子供を育てるからお互い様という感覚、私の子・孫も普段うるさくて迷惑を掛けているかもの遠慮が、少子化・未婚化・ライフスタイル多様化で崩れてきた。
例えば、ずっと子供を持たないと決めている人にとっては『私が子供を育てて騒音で迷惑をかける可能性』は初めから想定不能であり、子供嫌いだから子供のいる場に参加しない人にとっては『子供のいる明るい環境の感覚』は共感が困難なものであり、子供が無条件に大人から大目に許容される伝統社会の常識は揺らいでいる。
孤独感・無関係感・疎外感も『他人の騒ぐ声がうるさく聴こえる条件』になりやすい。学校でも自分が参加して騒いでいる時には大声が気にならなくても、自分と無関係な集団が騒いでいるとやけにうるさく感じる経験はあるはずだ。高齢者で子供の声がうるさいという人が増えてきた背景にも、『単身世帯化・疎外感』が影響する。
父親か母親が『血縁関係のない子供(連れ子)』を虐待すると、実の子供ではないから子供のちょっとした抵抗やイタズラ、わがままに我慢できずに暴力を振るってしまいやすいという先入観を持たれることが多い。3歳の女児を押して転倒させ、頭部損傷を負わせて殺害したと見られるこの事件でも、子供が『夫側の連れ子』だったことをネガティブな要因と見なす意見は少なくない。
その先入観には、連れ子は虐待されやすいと思っている人自身の『血縁関係への強いこだわり(自分の遺伝子を引き継ぐ子供じゃないと嫌)』や『相手と別の異性(前夫・前妻)との間の子供への嫉妬』などが反映されやすい。
また、子育てをしている女性(男性)は、子育てを最優先にした人生設計や行動の判断を行うべきであり、そのためには子供が小さいうちはできるだけ(よほど子育てに積極的な協力姿勢を持つ相手だと確信できない限りは)『別の男女との恋愛関係』は持たないほうが良いといった日本的な禁欲主義の道徳観も影響している。特に母親に対しては、『女性としての自意識・欲求』を離婚後に持つことが世間からタブー視されやすく、子供より異性を優先するのではないかとの野次馬的な勘ぐりを受けやすい。
だが、実際の日本における虐待統計では、法律婚(離婚していない子育て中の実親である夫婦)の多さもあって、虐待の加害者の大半が『実母(全体件数の約60%)・実父(全体件数の約25%)』であることに注意が必要である。
虐待致死・ネグレクト事件では『子供のいる部屋』を粘着テープで貼り付けドアを開かなくしている事例があるが、『子供の行動の抑制』と『子供を視界に入れない現実逃避』の動機によるとされる。
この事件で母親が家を出た理由は、被告のDV(配偶者間暴力)にあったとされるが、『妻に対する暴力』があって『子供に対する暴力・ネグレクト』がないと考えるほうが非合理的である。夫に対する恐怖心・会いたくない思いがあったとしても、家出後のフォロー・子供の安全確認を児童相談所に依頼する等の配慮があれば。
自分の子供よりも男・女との色恋沙汰を優先して虐待や殺人が起こってしまう事件はあるが『育児ノイローゼ(育児のストレス・疲労の限界と一時的な精神異常)』による虐待・殺害より無責任さは際立つ。
記事には、妻と子供(男児)と暮らしていたアパートを2005年頃に出たとあるが、アパートを出る以前に『妻との夫婦関係の破綻・妻が家から出てしまっている(別居・離婚した)状態』があったのか。妻がアパートに残っていれば、男児は死亡しないだろうから、既に夫婦揃っての養育環境は壊れていたのだろう。