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大人になって分かってくる『日本文化の本質・味わい深さ(風情風流)』とは何なのか?

露天風呂・日本庭園・寺社仏閣など大人が嗜好する日本文化の景観は『自然を模倣した人工造形・自然と調和した建築設計』が多い。食物や器物・趣味でも『華美・贅沢・奇抜の対極にある素材・わびさび・日常性』を味わおうとする。

男性が大人になって“よさ”がわかった「日本のもの」ランキング

大人になって良さが分かるというのは『知識・教養・判断軸の裏づけができて実物を見たり体験したりすることによる分かり方(他者との文化的価値の共有体験が付加価値となる)』が多いが、『流行のもの・一時的ではない歴史(持続継承性)を持つ日本文化』に興味を持つ事から始まりやすい。装飾的でない普遍性を求める。

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中秋の名月・スーパームーンを観賞した:天体としての月の幻想性・科学性

自然公園を歩きながら中秋の名月を眺めたが、自然光というより人工の照明灯のようなまばゆい明るさが印象的だった。強い明るさからスーパームーンという和風ではない英語の響きもしっくりくる。今夜(9月28日)もスーパームーンが見えるかな。

満月に腰かけて 中秋の名月、各地の空に

スーパームーンの光度の強さは特別だが、月はその陰影ある明るさが『幻想的・詩情的』な地球の衛星だ。幻想的であると同時に、アポロ計画に象徴される人類の科学文明で唯一到達できた『現実的な天体』でもある。宇宙の無限の広がりに対し、人類の知性・技術が微かに掴んだ『有限距離の実感』は、可能性の力感でもある。

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熊本県・球磨川の親子三人が流された水難事故。川遊びのリスクを自覚した遊び方。

水難事故は夏に川・池で遊ぶ事が当たり前の昔はもっと多かったが、水流・深さの変化のある川では『子供の膝下の深さ』以上には行かせないくらいの用心がないと、事故の可能性はゼロにはならない。

川遊び中の親子3人流され、両親が死亡 熊本・球磨川

子供を浅い所で浮き輪で浮かせているから大丈夫という事はない。小さな子供を連れている時には、浮き輪無しでも確実に楽に足がつけられる深さ、川の流れで岸から離れないような場所を慎重に選んでから遊ぶことが何よりの予防策。川の流れや海の波は一度深い場所へ流されると、泳ぎが達者でも人力では戻れなくなりやすい。

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映画『春を背負って』の感想

総合評価 81点/100点

幼い頃から厳しい山屋の父親・長嶺勇夫(小林薫)に連れられて、立山連峰の冬山に登り『菫小屋』の山開きを手伝っていた長嶺亨(松山ケンイチ)だったが、成長して村・山を離れた亨は東京で証券マンとして仕事をするようになっていた。金融業界でトレーダーとしての才覚を発揮した亨だったが、キャリアに関わる大きな案件を抱えている時に、突然、父が遭難者を救助しようとして山で死んだという訃報が届けられた。

久しぶりに帰郷して父の葬儀に参列した亨は、自分とは全く違う地元に根付く生き方を選んでいる幼馴染の中川聡史(新井浩文)と再会する。既に結婚して子供を設けた中川は、父の後を継いで木工職人として地道な修行を続けており、『決まった人生・職業・家族の道』を黙々と進んでいく亨とは正反対の生き方をしていた。

亨は見たことのない若い女性・高澤愛(蒼井優)とも知り合う。高澤愛は人生に傷つき山を彷徨って遭難している所を、父の勇夫に助けられてから、母の長嶺菫(檀ふみ)が営業する旅館の手伝いをして働くようになっていた。愛は父が存命の時には何度も菫小屋にまで登って働いたこともあり、旅館・小屋の看板娘のような存在にいつしかなっていた。

父・勇夫が長年かかって一人で作り上げ、経営・維持してきた菫小屋は妻の名前を取って名前をつけた愛着のある小屋だったが、勇夫が死んでしまったことで後継もいない状態になってしまった。小屋を閉鎖するか知り合いに経営を委託するかという話になっていて、亨がそれとなく小屋を継ぎたいような話をすると、母親の菫は小屋の経営は甘くないからとやや迷った感じの返事を返してきた。

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